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御嶽堂の三峯神社 上田市丸子 御嶽堂

御嶽堂(みたけどう)の三峯神社参拝 '22.5.25

丸子図書館

 「まずは資料収集」ということで、丸子図書館に向かいます。その前に立つと、「これが図書館か」というほど“凄い”建物でした。

ネットで調べると「用地費1億9千万・建設費4億9千万・外構3千2百万・図書購入などを合わせ約8億円」という、とてつもない施設でした。

 それはともかく、まずは三峯社です。「上田地域図書館情報ネットワーク」で検索して見つけた三冊の本を閲覧しました。

 二書は『丸子町誌』と同内容でしたが、御嶽堂区誌編集委員会編『ふるさと御嶽堂ムラのむかしといま』に、「(38)三峯神社」を見つけました(元図はカラー写真)。


 御嶽堂には、上組、中山、三角、南原の四組が共同で祭りを行なっている二ヵ所の三峯神社があります。その内の中山・三角・南原の共同の社は、日向(ひなた)山地のはぼ中央のひときわ小高くなった山頂で、三組の水田地帯を鎮護するように東向きに祭られています。
 九月十九日を祭りの日と定め、この日に間に合うように講中は交代で「代参」して神符を受けてきます。この講は、はじめの頃は、主に高価な換金作物として知られている薬用人参を耕作していた人々が、盗難に合(※ママ)わないことを願って入っていましたが、その後は、希望者がだれでもが入れるようになりました。
 祭りは、各々のムラが準備を担当し、三峯に登る道順も決められていました。まず中山はゴザなど敷物を持参して飯島芳郎氏宅西側の参道を、三角は山三酒店から酒を調達して前所氏宅の道から登り、南原は屋根の葺き替えを担当し、山頂の十五坪はどの平地に参集して祭りを執り行ないました。現在は南原が単独でこの社の「おこもり」を継承しています。
 この山頂は、日向山地で最も早く朝日のあたる場所であり、また三部落を一望でき、ここの雨水は、中沢・原沢の山林や作物を育むなど、神を祭るには相応しい場所でしょう。

 コード番号が巻頭の地図に対応しているのに気が付いて(38)を探すと、…労なくその鎮座地が確定できました。

三峯社誤認の報告

お仮屋
Googleマップ「ストリートビュー画像」

 以前『丸子町の三峯社』で「ストリートビューで御嶽堂を探したら、このようなものを見つけました」と書きました。
 これから行く三峯社への道中なので、それが「お仮屋」なのかを確認することにしました。

お仮屋

 二ヶ月後となってしまった今日、勇んでカメラを向けましたが、目に入ったのは石仏の背中でした(私有地なので、正面写真は撮れず)
 これで「三峯社のお仮屋」は否定されましたが、せっかくなので「石仏の覆屋」として紹介することにしました。

御嶽堂の三峯神社

 「鎌倉道」の案内板がある丸子と塩田を結ぶ道から、溜池と思われる日向(ひなた)池に下ります。ここは公園になっており、駐車場があって助かりました。
 Googleマップには表示しないので図書館で書き写した道を進みますが、その一帯は一面が皆伐というか刈り払われて褐色の世界になっています。その中を縫うようにある裸地というか木材運搬用の一車線巾の道を一つ選んで登ります。野バラが覆っていますが、まだ踏みしめられる大きさです。

三峯社 すぐに息が揚がり、何回も立ち止まってしまいます。尾根上に写真で見た社(やしろ)が今も存続していれば頑張ることができますが、その保証がない昨今では、どうしても後ろ向きになってしまいます。
 何回も「もう引き返そう」と挫けそうになる中で、尾根筋は直ぐそこという地点に至りました。その間を藪が阻んでいますが、強引に漕いで尾根上に出ると地図通りの道があり、その先をたどると、萱葺き屋根が見えました。

三峯社

 「御岳堂区」が設置した標柱を脇にして、前面フルオープンの社が鎮座していました。しかし、御眷属が見下ろすはずの下界は、木々や藪に阻まれて見通しは利きません。

御眷属拝借の札 「三峯」だけが読める御札は三体とも「南原(区)成年部」ですから、区誌にあるように南原区のみが祀っているのがわかります。
 ここで、御札の退色具合を見て、三年分を並べていることに気が付きました。「これは返却すべきもの」と息巻いたのですが、何気なく注視すると「眷属拝借」とは読めません。当てはまるのは「祈祷」ですから「三峯神社御祈祷之神璽」となり、「これはこれでいいのだ」となりました。

 帰りは、ここが終点という尾根筋の参道を伝いました。しかし、分岐点が見つからず、結局は戻って、再び藪を漕いで道なき道を下る羽目になりました。それでも、下りきって尾根上を仰げば、多くの三峯社が恒久的な造りに変わっていく中で茅葺きのお仮屋を自分の目で確認できた喜びがこみ上げてきます。様々なものを乗り越えても報われずに帰ることが多々あるので、今回は充実した参拝となりました。

御嶽堂

 地理院地図で御嶽堂附近を眺めると、前出の書にある「中山三角南原」の集落の位置関係がよくわかります。

三峯社
『地理院地図Vector』に名称等を重ねて加工

 それぞれの直近に神社がありますから、かつての最小単位の旧村が祀った鎮守社であることがわかります。また、「三組の水田地帯を鎮護するように東向きに祭られています」から、三つの集落を見下ろすためには(山麓ではなく)この尾根の末端に造営する必要があったことがよく理解できます。
 「現在は南原が単独」とあるのも、山上の神社では維持管理が大変との理由で、一番近い集落「南原」が残ったということでしょう。