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成沢の石鳥居(成澤八幡神社) 山形県山形市 蔵王成沢

 元木の石鳥居を「最古」と書きましたが、成沢の石鳥居も形状・材質・建立の背景が同じなので、同様に「最古」としました。言い回しに「最も〜ものの一つ」がありますから、おかしくはありません。

成沢の石鳥居と成澤八幡神社 '22.10.24

成沢の石鳥居(成澤八幡神社)

成沢の石鳥居 この石鳥居の特徴を一口で言うと「転びの無い寸胴の柱」となります。タイヤと比較するのも何ですが、扁平率が低いので、とにかく柱の太さが際立ちます。
 その圧倒的な存在感も然(さ)る事ながら、荒れた肌からは、長年の風雪に耐えてきた力強さが伝わってきます。これを見たことで、少なくとも一年間は長生きできそうな気持ちになりました。
 凝灰岩とあって、礎石と接した柱の周りに、風化や凍みによって剥落した破片や小石が溜まっています。最古の鳥居にあやかってその一つを手にしましたが、「余り長生きしても…」と元に戻しました。  
 山形市教育委員会が設置した案内板です。

国指定重要文化財 八幡神社の石鳥居
 凝灰岩製、総高四三六cm、柱は直径九五・五cmの直立円柱で、その上に一石よりなる、島木と笠木をのせている。和様建築のこの石鳥居は平安時代末期の造立と推定されている。
 その頃に、この東方の龍山に興隆した仏教文化の遺物と考えられ、同様の石鳥居が、元木地区にものこっており、共に重要文化財に指定されている。
 この石材については、龍山の空清水(うつぼしみず)から、天仁二年(一一〇九年)に採石したという古文書が、この地区にのこっている。
 本県のみならず、わが国でも最古に属する、貴重な石鳥居である。

成沢八幡神社

成沢八幡神社 稲荷神社を左に見て正面の石段を上がると、この社殿が現れました。鳥居がかなりの骨太だったので、この大きさでも、こぢんまりしたものに見えてしまいました。
 本殿は、扉で密閉されているので拝観は叶いませんでした。成澤八幡神社が設置した案内板です。

  由緒沿革
  御祭神 誉田別尊(応神天皇)
 当神社は、人皇七十代後冷泉天皇の天喜五年(一〇五七)五月陸奥守源頼義が安倍貞任追討の途次、瀧山々麓の丘上に男山八幡を分遷し戦捷(せんしょう・戦勝)を祈願したと伝えられる。この丘は八幡山と呼ばれ今日の館山々頂である。住民これを崇拝し天仁二年(一一〇九)高さ九尺三寸・柱の回り九尺三寸・笠石三間の石鳥居を建立(国の重文)した。凝灰岩の石鳥居としては日本最古のものと高く評価されおります。
 永徳三年(一三八三)山形城主右京大夫直家六男大極兼義が成澤城を八幡山々頂に築城するに当り、御託宣により社殿を現在地に遷座し、御神徳を賛え十一ケ村からなる流鏑馬神事が行われ毎年盛大な祭典がなされていた。
 元和八年(一六二二)最上家改易により成澤城も廃城。後の領主堀田正虎公正徳四年(一七一四)九月社殿を改築、明治六年郷社に列せられた。
 大正二年八月二十六日大暴風雨のため社殿倒潰し、大正五年八月十一日復興再建し現在に至っている。
 昭和二十年第二次世界大戦後信教の自由にもかかわらず昭和四十九年(一九七七)八月、氏子住民一丸となって神橋改築並びに社殿の改修がなされた。
 この度、山形市が成澤城跡を歴史公園として整備することになり、地区民一同の協賛により成澤城本丸跡(館山々頂)に八幡神社奥宮を建立し、平成十一年六月十三日遷宮式を斉行し、地区の守護神として御神徳を新たに崇拝しております。

奥の宮

成沢八幡神社奥の宮 社殿の脇に標識「奥の宮すぐそこ」があります。限られた時間の中では大いに迷いましたが、“片参り”になるし、「すぐそこ」と言っているので登ってみました。
 「すぐそこ」の評価は別として、鎮座地は成澤城跡の一画にありました。三角点がある八幡山ですが、削平されているので山頂という字が当てはまりません。

 撮っておいた写真の案内板をテキスト化しました。

  成澤八幡神社 奥の宮御由緒
 社伝に人皇七十代後冷泉天皇の天喜五年(一〇五七)五月、陸奥守源頼義が安倍貞任追討の途次、瀧山々麓の丘の上に男山八幡を分遷し、戦勝を祈願したと伝えられる。
 この丘は八幡山と呼ばれ、今日の館山々頂のこの場所であり、八幡神社創建の歴史である。
 永徳三年(一三八三)山形城初代城主斯波兼頼公の孫、大極播磨守兼義が成沢城を八幡山々頂に築城するに当り、御託宣により八幡神社々殿を現在地に遷座し、社田三町歩を与えられた。
 成沢城の鎮護神社として武運の長久と領土領民の平安を祈願したのである。成沢村外十一ヶ村相集い八月十五日を祭日と定め、御神徳を讃え毎年盛大なる祭典と流鏑馬(やぶさめ)神事などが奉納されて居りました。以来、毎年の祭典が連綿として継承されている。
 山形城の南の守りとして重要な成沢城は、初代城主大極兼義以来八代の城主、この間二百四十年継続された。然し元和八年(1622)最上家改易により廃城となったのである。
 この度山形市が成沢城跡公園として整備する事になり、これを記念して地区民一同の協賛による多大な浄財により、成沢城本丸跡八幡神社創建のこの地に、平成十年十一月成沢八幡神社奥の宮が建立された。遷宮式は成沢城歴代の城主を合祭し、平成十一年六月十三日に斉行され、隆々発展する成沢の象徴として崇拝されている。

空清水・成沢の石鳥居・元木の石鳥居

 案内板に、「鳥居の石材は、龍山(りゅうざん)の空清水から採石した」とあります。地図で探すと、意外と近い場所です。元木の石鳥居もここから運んだのでしょうか。

成沢の石鳥居と瀧山
『地理院地図 Vector』〔標準+地形〕地図を加工

 ━━は鳥居の向きですから、成沢の石鳥居は成澤八幡神社に向いています。ところが、山形市教育委員会は、この鳥居を「龍山に興隆した仏教文化の遺物」としています。上図のように両鳥居は同じような場所にあるので、瀧山へは参道が二通りあり、それぞれに同じ鳥居を建てたとすることができます。
 その後に龍山信仰が衰退したので、成澤八幡神社へ移転したという変遷が成り立ちますが、どうでしょうか。