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三峯社と大妻神社 松本市梓川 倭(やまと)

北大妻の三峯社

 『梓川村誌』で、「秩父の三峰様、昭和五十年ころまでお参りした。(北大妻)」を読みました。「三峯社が他にも!?」と、字(あざ)「北大妻(きたおおづま)」を検索すれば、梓川図書館の西方にあります。ストリートビューで試走してみると、北大妻公民館の近くで三峯社を見つけました。

 ただし、あくまで個人の見方であって、その前に立てば似て非なるバードハウスだったと落胆する可能性があります。
 「明日にでも」と気がはやりますが、次いでの用事ができるのを待つことにしました。


三峯社参拝 '21.8.5

 梓川アカデミア館で樹下の駐車場を確保しました。スマホの地図で幹線道路を避けると、左右は田圃という緑まぶしい農道を歩くことができました。その道行きは35度を思わせる日射ですが、適度な風が盛んに蒸散作用を行ってくれるので不快感はありません。

 昔ながらの入り組んだ辻の一つにその先を決めかね、木陰(下写真右)の下でスマホを開きます。「左の道を」と選択して何気なく振り返ると、現実の三峯社が真後ろにありました。

三峯社と道祖神
道祖神space三峯社

 道祖神があるので、その交差点を説明できる構図で撮ってみました。三峯社の前は三面コンクリート仕立ての用水路ですが、段差が発生させるせせらぎが心地よく耳に入ってきます。塀や建物は今風ですが、碁盤目状の道路とは異なる昔ながらの辻にかつての原風景を見れば、一時ですが暑さを忘れました。

北大妻の三峯社 北大妻の三峯社を、洞(うろ)になった木に祠をはめ込んだ造りと説明してみました。
 「支柱が一本・杉の葉」から三峯社の一スタイルであるのは間違いないのですが、これだけアレンジしてあると、誰かに証明してもらう必要があります。

北大妻の三峯社 さらに、紋章の世界では「星梅鉢」と呼ぶ「穴」に気が付けば、「天神様のお仮屋」とも思ってしまいます。しかし、半坪程度の社地の背後に広がる家は静まりかえっており、この時勢とあってチャイムを押すことがはばかれます。

 通りかかった男性に「これは三峯社」と問うと、同じ言葉が返ってきました。地続きの家は「会員」と言いますから、講の世話役か講員が敷地の一画を社地として提供したと想像してみました。ただし、「六穴」を家紋とすれば、当家が勧請した三峯社の可能性もあります。
 コロナが収束したら改めて再拝しようと思いながら、風情のある民家が続く北大妻の集落を後にしました。

大妻氏館址と大妻神社

大妻氏館址 地図に「大妻氏館址」が表示します。字(あざな)に通じる大妻氏なので、三峯社を参拝した勢いで寄ってみました。
 田中に長野県が設置した石碑があるだけでしたが、続いて表示した大妻神社に、更に足を延ばす羽目に…。

大妻神社

 ついでの参拝という形でしたが、祭神に「建御名方命・大妻太郎兼澄」を読み、ネットでは「大妻氏は諏訪神氏の出で、承久の乱では仁科盛朝と大妻兼澄の二人が吉野朝に味方した」とあるので、別の機会に紹介することにしました。