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白旗神社 山梨県北杜市大泉町 西井出

■ 現在の大泉町は、大泉村→巨摩郡大泉町→北杜市大泉町の変遷があります。
白旗神社
白旗神社(西井出)

 かつて『大泉村誌』を読んで(と言っても神社関連だけですが)、白旗神社を知りました。「逸見有義が源氏の白旗を埋めたという大石」はともかく、その上に積み重ねた塔状の石組に強い興味を持ったのですが…。
 それから幾星霜。同町にある逸見(へみ)神社を参拝する機会があり、何十年ぶりかとなる金生遺跡に寄ってから白旗神社を参拝する計画を立てました。

白旗神社参拝 '22.5.19

 鳥居の前に立って、初めてこの景観を目にしました。「日も射さぬ樹下に苔むした石の塔が」とイメーして来たのですが…。

白旗神社

 参道の周囲は伐採され、この有様です。周辺の林間にはカフェやスタジオが点在していますが、この一画は皆伐で、太陽光発電のソーラーパネルが敷きつめられるのではと思ってしまいます。

 この件についてメールを頂きました。伐採はメガソーラーではなく、松食い虫の被害が原因でした。ということは、社叢は赤松がメインだったことになります。こうなる前に参拝したかったのですが、今となっては…。

白旗神社

 大石と石積の塔に対面すると、古さはまったくなく、昨今に造られたとしか見えません。その前面の石祠ですが、こちらには乾いたコケが乗っており、「宝暦三年(1753)・癸酉/九月吉日」が読み取れました。

白旗神社

 背面から眺めると、塔の平石の一部と大石にコケが見られます。正面は高圧洗浄機で洗い上げたように真っ新(さら)ですから、違和感というか「なぜこんなことになったのか」との疑問が湧きます。
 とにかく、立ち寄り参拝者ではこの経緯を知る術はなく、この明るく開放的な白旗神社に驚きを感じても、この現状を素直に受け止めるしかありません。五月の日射しを全身に浴びながら、車に戻りました。

白旗神社と境内社「八ヶ岳権現」

 大泉村誌編纂委員会『大泉村誌 下巻』〔宗教〕から[白旗神社]を転載しました。

鎮座地 大泉村西井出八二〇四の三四八番地
祭 神 武甕槌命、倉稲魂命、天宇須女命
例 祭 四月吉日、九月十日
由 緒
 当社は地区から二〇町離れた東北の山林中に鎮座して在り、創立の年月は不詳である。境内社に姥神祠が祀られている事より、奈良朝初期の建立と思われる。新羅三郎義光甲斐守に任ぜられ、当社の崇敬篤く武田太郎信義の孫逸見有義が源氏の白旗を此の社地に埋めたといわれ、源氏の拠点であり、その後社名を白旗神社と改称された。
 『甲斐国志』によると「……」(※ 別記)と記されている。
 社地の地下は空洞であって、この地点は往古の古墳の地ではないかと想像されて昔より口伝されている。明治四十一年に無格社に列せらる。
 社殿の模様、社殿なく大磐石高さ四尺長さ九尺許りの上に二塔を立つ、高さ六尺余、五層にして、石は皆自然石でその前に姥神、八嶽権現、岡象女神の石祠あり。
 境内地面積及氏子戸数 二反二畝一五歩
 氏子九〇戸(三区一円で東原辻林中村若林)である。

 「奈良朝初期の建立」の件(くだり)ですが、「姥神祠→奈良朝初期」の発想が理解できません。それはともかく、(※ 別記)とした『甲斐国志』を『国立国会図書館デジタルコレクション』から拾い出しました。

一〔諏方明神〕西井出村 黒印神領五斗四升・社地四千八百坪・谷戸村神主兼帯ス、
○〔白旗明神同村 本村ヲ距(へだた)ルコト拾五六町許北方八ヶ岳ノ麓ニ在リ、大盤石(だいばんじゃく※大石)高四尺許・長九尺許・横五尺許ノ上ニ二塔ヲ立ツ、各高六尺許ニシテ五層ナリ、其石皆天成ノ者(てんせいのもの※自然石)ヲ撰ビテ断削(きりそぎ)ヲ用イズ、苔蘚(たいせん※コケ)幽封(※幽玄)シテ古蒼(こそう※古色蒼然)変スベシ、口碑ニ逸見(へみ)四郎有義此下ニ白旗ヲ埋ム、後人因テ神トシ祀ル、後又側ニ石祠ヲ立テ八ヶ岳權現ヲ祀ル卜云、又水神祠、姥神祠アリ、

〔神社部第十一 巨摩群逸見筋

 『大泉村誌』では「その前に姥神、八嶽権現、岡象女神の石祠あり」と書いていますが、『甲斐国志』では「大石の側(現在は前)に八ヶ岳權現の石祠を建て」としています。また、「水神祠・姥神祠」はこの近辺にあると読めます。

 これで、大石前面の石祠は八ヶ岳権現社であることがわかります。その後に「水神と姥神を合祀した」可能性もありますが、それより、境内社を磐座(本社)の前に設置してあることに疑問を感じます。
 現在は、崇敬者が両社を同体として、「磐座−本殿」を参拝線にした白旗神社を設定しているのかもしれません。

[石堂]

 『大泉村誌 下巻』〔民話と伝説〕にある[石堂]が白旗神社を書いたものと知りました。

 西井出の集落の北東で標高九五〇メー卜ルくらいの所で甲川のほとりの松林の中に横三メー卜ル余り、たて約二メー卜ル、高さ約一メー卜ルくらいの巨石の上に、自然石を積み重ねた二基の塔がある。
 昔、源氏の白旗と陣太鼓等武具を、この巨石の下に埋めたと言う。それは何のために埋めたか、その理由はさだかでない。この塔の前に石の祠があり、白旗明神という神社である。この神社は宝暦年間の建立であるといい、三区(中村・辻林・東原・若林)の人々が毎年祭りを営んでいる。
 また、この石の堂は、昔鬼が来て一夜のうちに建てたものだとも言われているが、その建て方は巨石の上に自然石の平板と四個の石を一段にしてそれを交互に積み重ね、七、八段に及ぶ高さ三メー卜ル余りで、下の石ほど大きくて、安定感のある塔である。
 この塔は、昔から数回の大地震に一度も崩れることなく、今に至っている。また巨石のまわりを力足(ちからあし)で踏むと太鼓をたたくような音がする。
 また、この石の塔は、平安時代に東国地方の平定や前九年・後三年の役の折りの武士の通り道の道しるべともいわれている。

 ここでは、石祠を「白旗明神」としています。