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宇波刀神社 山梨県北杜市明野町 '20.12.6

宇波刀神社「貞観の鳥居」

 『山梨県神社庁』では、宇波刀(うわど)神社の祭神を「建御名方命・伊弉諾命・伊弉冊命・素盞鳴命・倉稲魂命」と挙げ、〔由緒沿革〕には、

 創立年代不詳なるも、貞観6年の銘がある石華表があり、又貞観8年3月28日従五位上に叙せられた旨三代実録に記載があり、又延喜式神名帳にも県内他の十九社と共に登録された式内社であることから、貞観以前の創建であると推定出来る。新羅三郎義光寛治7年当国へ任官の際素盞鳴命・倉稲魂命の二神を勧請合祀し、社領地を寄進せられたと云う。

と書いています。「貞観(じょうがん)といえば、まだ三桁の時代ではないか」と、半ば眉唾の目を持って国宝級の鳥居を拝観することにしました。

宇波刀神社参拝 '20.11.8

 フロントガラスの向こうは、神社の杜そのものです。それに沿う道を「参道はどこだ」と周回しますが、車道では、遠心力で振り回されるように徐々に離れて行きます。その後の経過は、…略としました。

北杜市明野町「宇波刀神社」

 これが、額束一体の鳥居額に「宇波刀神社 諏訪神社」が読める貞観の鳥居です。長野県には見られないズングリムックリの柱がその古さを証明していると見たのですが、この参道入口にある案内板を読まなかったばかりに…。

宇波刀神社

 山梨県ではよく見られる注連柱(しめばしら)に「安政三年」を読んでから燈籠を過ぎると、なぜか「鳥居の笠木」が地面に突き刺してあります。対の鯱(しゃちほこ)の尾とも見えるので割と違和感はなかったのですが、こんな景観は初めて見ました。

宇波刀神社神紋 拝殿の蟇股と大棟に懸かる紋を諏訪大社の神紋と見ました。(過去はともかく)現在は諏訪神社なので当然のことですが、何かおかしいので凝視すると「葉の中心に花蕊(かずい)のような[○]がある・幹が三本並立している・根がない」となりました。宇波刀神社バージョンとも言えますが、「現在も、情報不足の時代に制定されたものを採用している」と考えることにしました。

宇波刀神社本殿 覆屋内にある本殿です。木枠からカメラを差し込んでの撮影なので、これが精一杯の姿となりました。
 由緒書がないので、比較的新しい造営としか説明できません。冒頭の〔由緒沿革〕の続きには「昭和五十五年四月拝殿の改築と神楽殿を新築する」と書いていますが、肝心の本殿については何の記載もありません。

宇波刀神社の石造物 本殿の右方に、もう一つの目当てのものがあります。下調べの時に知った不思議な石造物ですが、後述の鳥居についての話が長くなったので、『仮称 石棒石皿石造遺物群』として別項にまとめました。


宇波刀神社の鳥居

 参道入口にある、北杜市教育委員会設置の「山梨県指定有形文化財 宇波刀神社石鳥居」からの抜粋です

 この石鳥居は12世紀後半(平安時代末〜鎌倉時代初頭)に創建されたといわれています(14世紀代という異説もあります)。種類としては明神鳥居に分類され、高さ2.2m、幅1.9mとやや小ぶりで、太い柱と、どっしりした安定感のあるのが特徴で、県内最古級のものです。台風や地震で何回か倒壊し、現在、鳥居の一部は新しく作り直されていますが、古い鳥居の一部は神社に大切に保管されています。
 鳥居の柱には貞観六(884)年という年号が、また、神社に残された古い部材には、同じく平安時代の年号「大同」が刻まれていたといわれていますが、これらの年号は後に追刻されたものです。
 宇波刀神社は延長五(927)年にまとめられた『延喜式』にも記載された由緒ある神社です。また、この神社が古道である穂坂路(ほさかみち)に面していることも、この地域の歴史を知るうえで注目されています。

宇波刀神社 自宅でこれを読んだので、本殿の脇に転がっていた石造物の断片が「大切に保管されています」とある古い鳥居の一部とわかりました。
 さらに、参道脇に突き刺してある笠木もこの仲間であると理解できましたが、「貞観」に惑わされたのか、直近の目視ではまったく気がつかなかったことになりました。

宇波刀神社「鳥居」 改めて「鳥居の写真」を眺めてみました。
 案内板では額束と左の笠木(鳥木)が新材とあります。確かに、本殿脇にその部材がありましたが、そうなると、参道脇に立ててある二本の笠木はどうなのかという疑問が…。
 それは「二ノ鳥居があった」とすることで解決しましたが、ここで、山梨県の古鳥居によくある台輪が無いことに気が付きました。「それが無いからこそ、より古い鳥居」と言えそうですが、立ち寄り参拝者である私はそれ以上のコメントは控えることにしました。

宇波刀神社は諏訪神社

 『甲斐国志』の抜粋です。

諏訪明神 上手村 相伝(あいつたえ)て宇波刀神社なりと云、宇波刀と上手と訓相近し、祠辺の地を羽場と云、古事神事に法楽舞せし處を踊畑と称せり、
甲斐志料刊行会『甲斐志料集成 五』(『甲斐国志』)

 この時代では諏訪神社であることがわかります。また、現在の大字(あざ)も「上手」ですから、宇波刀→上戸→上手村になったことも考えられます。

「羽場」

 「祠辺の地を羽場」を調べると、「はば」は「崖地ないし崖地に近いところ」でした。宇波刀神社の南側には中央自動車道が通っているのでその向こうは展望が利かなかったのですが、衛星写真で見ると確かに台地の縁で、その下は塩川でした。そのため、

又宮澤・宮川あり、流れて塩川に落る處に瀑布あり、俚歌(りか)を傳う、「す〻しめや神世もながく宮河の流れもきよき羽場のしらたき(白滝)

と、「諏訪明神 上手村」の続きを書く羽目になりました。
 また、幼少期に住んでいた長野県松本市に「巾上(はばうえ)」があり、これも「田川によって造られた段丘上に位置する集落」と、60年ぶりに理解できました。