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和田 社宮司神社  小県郡長和町和田宿

■ 「御社宮司社」は、諏訪での一般名称として書いています。

 上田市丸子からの帰り。自宅へは白樺湖経由が最短ですが、思いついて中山道和田宿にある御社宮司社へ寄ってみました。

和田社宮司神社参拝 '22.5.25

和田宿
『地理院地図Vector』を加工 

 御社宮司社は和田宿の最南端にあるので、並行する国道でその少し先にある信号を目指します。
 戻る形で中山道に入りますが、ナビが示す道にタイミングを取り損ねて通り過ぎ、方向転換に使える脇道を探しているうちに、和田宿の中枢部まで来てしまいました。脇本陣前で向きを変えれば、結局は、狭さで敬遠したその街道を往復することになりました。
 確実に右折し、すぐに現れた墓地脇を山際まで登れば、その先は暗い林道です。「道を一本間違えたか」と、方向転換にはうってつけの空き地に乗り入れて後方確認すると、鳥居があり、その背後が御社宮司社でした。

和田社宮司神社

 まだ新しい鳥居に「社宮司神社」と読め、それが、この地での正式名称と知りました。写真には写っていませんが、左方は願応寺の墓地です。石塔が林立しているので、この宿場の共同墓地でしょうか。
 舞台を兼ねているような拝殿の向こう側に、同格の本殿二棟が並んでいるのが見えます。

和田社宮司神社
流造space向拝無し(?)流造

和田社宮司神社 直近で観察すれば、身舎というか本体の見た目は同じ造りで、向拝の有る無しが違いです。
 御社宮司社を目的として来たので、どちらがそれなのかを知りたい欲求があります。案内板がないので決めかねますが、上位の神座に当たる左方の流造を社宮司神社としました。

和田社宮司神社

 祭神と同じ目で見下ろせば、自然と願応寺の墓地が映ります。このシチュエーションは平地が乏しい山間の宿場町にはよく見られますから、奇異とするほどのものではありません。
 和田宿にある新海神社を調べた際に『和田村村誌』で知った御社宮司社ですが、これで『御社宮司社紀行』の一つを果たすことができました。

和田社宮司神社の祭神は「天照皇太神・豊受大神」

 和田村村誌編纂委員会『和田村村誌』から、〔社宮司社〕の一部を(そのママ)転載しました。

社宮司社 鍛冶足字西山
祭神─天照皇太神、豊受大神
明神鳥居

本殿 二殿、御神体─剣
鰹男木三本(男神)千木水平(女神)
右殿─切妻、三手先、二重繁垂木
左殿─流造、向拝付、岩に松 (中略) 両開唐戸

 以下「社宮司について─御作神(諏方大明神絵詞)御左口神(諏訪神長官)…]と続きますが、一般論を述べているだけです。それはそれとして、[本殿]以下の解説に乱れがあるので、(僭越ながら)撮った写真を基に書き直してみました。

本殿 二殿、御神体─剣

社殿の造りは共通(三手先・二重繁垂木・岩に松 …中略… 両開唐戸)として

右殿─切妻、鰹男木三本(男神)・千木水平(女神)
左殿─流造、向拝付、大棟(箱棟に鬼板)

 右殿の「切妻…」を神明造とすれば、祭神を天照皇太神・豊受大神とすることができます。そうなると左殿が必然的に「社宮司神社」となり、鳥居の額からも主祭神と言えます。ただし、あくまで立ち寄り参拝者の見方となります。

 最後の解説に、[社宮司社のあるところ]として「昔の古い屋敷のあったところ、古道、宿場のあったところ、扇状地帯の上部で日向よく水利よく風当りの少ないところ、(後略)」を挙げています。これは一般論とも当地の立地とも取れますますから、「参考まで」としました。

社宮司神社は「社宮司社と神明社の合殿」

 長野県『長野県町村誌 第二巻東信編』〔和田村〕では

社宮司社・神明社 合殿】雑社 社地東西十一間四分、(中略) 祭神天照皇大神、豊受大神を合祭す、創建年月不詳、祭日九月十八日。

とあり、社宮司神社は向かって左側(流造)の社殿と確定しました。