安曇野市から塩尻市にかけては、道祖神祭りに、様々な飾り物を付けた御柱を立てます。『菅江真澄民俗図会』にも描かれているので、一度は見たいと思っていました。
その一つである三郷(みさと)の道祖神がどこにあるのかと調べる中で、三峯社を見つけました。
決して多いとは言えない三峯社ですが、地区の公民館・火の見櫓・道祖神・辻(交差点)などの地区の中心地に見ることができます。ここでは、火の見櫓・消火栓・ゴミ収集ステーション・交差点が当てはまりました。
日蔭には雪が残っていますが、穏やかな陽を全身に浴び、三峯社探訪には最良の日となりました。
手前の台は供物を置く台でしょう。その背後にある「お仮屋」ですが、柱が「ハ」の字に開いています。「このまま広がって倒壊か」と思いましたが、四本とも補強の杭に針金で固定してありました。
その周囲に廃材が何本か立っています。何だろうと注視すれば、三方をササで囲った玉垣(垣根)でした。
朽ちかかった御簾(みす)を透かすと、古びた板切れが重なっています。それが御札のなれの果てとわかりますが、決定的な証明が欲しいとアングルを変えれば、「火防盗賊除」の一文字「除」だけが見えました。
それが、講が拝借した最後の御札ということになります。『御眷属拝借心得書』に「御酒御饌(みきごせん)を土器(かわらけ)に盛り」とある素焼きの皿を初めて見たこともあり、すでに講の活動を終えていた現実には残念と言うしかありません。
ストリートビューに2012年6月版がありました。解像度が低いのでボケていますが、屋根に杉葉が置かれているのがわかります。三方の垣は、ササではなくソヨゴと思われますがハッキリしません。
注連縄には紙垂の一部が残っていますから、前年まではまだ祀られていたことが窺えます。
白く輝いた常念岳が仰げる安曇野市三郷図書館で、資料を収集しました。旧南安曇郡三郷村(みなみあずみぐんみさとむら)となる目当ての『三郷村誌』は、全7巻となる豪華なセット本でした。
〔民俗〕から[各区の同族神と屋敷神]を開くと、三峰社の記述が多くあります。計25社を数えましたが、その多くが屋敷神です。「田の畦」とか「汐(せぎ)下」など野天にあるものも載せていますが、祭祀者の名前を並べていても、その場所を特定することは不可能です。結局は、小倉にある自分で見つけた一社を参拝しただけで安曇野を後にしました。