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六田の石鳥居(與次郎稲荷神社) 山形県東根市 四ッ谷

 「最上三鳥居」には、幾つかのバージョンがあります。「一・二」は不動ですが、「三」については、諸事情によって入れ替わります。利害関係がない私は、「三」に「六田(ろくた)の石鳥居」を入れたものを選択しました。そのために、清池(しょうげ)の石鳥居を見忘れることになりました。

六田の石鳥居 '22.10.24

 「最上三鳥居」である元木と成沢の鳥居を見学したので、残りの一基を目指して東根市(ひがしねし)へ向かいました。もちろんナビの言うままですから、山形県のどこを走っているのか皆目わかりません。

六田の石鳥居

六田の石鳥居

 人の名が付いた稲荷神社です。その神社が「これが目に入らぬか」と全面的に押し出したような鳥居は…。

與次郎稲荷神社 この姿を目の前にして、如何にも「最上三鳥居」と頷いてしまいました。台輪があるなどの差異もありますが、これ迄に見学したものとは真逆となる柱間が極端に狭いのが際だっています。
 写真に見える東根市教育委員会『六田の石鳥居』は「市指定有形文化財」だけを書いています。案内板(由緒)『與次郎稲荷神社』でも「最上三鳥居の一つにして文部省指定の重美品であり市の文化財」としかありませんから、数値としての大きさがわかりません。「私は屈んで潜った」と書いてみました。

 材質(色)から、柱以外は後補のようにも見えます。これが「文部省指定重要美術品」止まりであることの理由でしょうか。

與次郎稲荷神社

與次郎稲荷神社拝殿

 名称は與次郎稲荷神社ですが、拝殿前の社号標は「與次郎稲荷神社」と「八幡神社」の二柱が並んでいます。拝殿の額も「鎮守正一位與次郎稲荷大明神」と「八幡神社」が懸かっていました。

與次郎稲荷神社 案内板に祭神が「應神天皇・保食神、配祀 與次郎大人之霊」とあるので、三柱の神々をどのように祀っているのかが気になります。しかし、定紋幕の向こうは暗く、本殿三棟なのか・相殿形式なのかは確認できませんでした。

狐穴

狐穴 境内の左奥に、赤い鳥居から稲荷社とわかる境内社があります。例によって確認してみると、基壇の右側に「狐穴」がありました。島根県で見て以来、何年ぶりかの目撃となりました。
 境内の左方には境内社が並んでいますが、ブロックの玉垣内に自然石が安置してあるものに注目しました。「與次郎祖廟」を読んだからですが、他に説明が無いので、名称通りの「與次郎の先祖を祭ったもの?」で終わりました。

與次郎稲荷神社と六田の石鳥居

 「最上三鳥居」が目当てだったので、参拝時には案内板を斜め読みしただけでした。そのため、参拝記をまとめる中で(人は、また重箱の隅を…と揶揄しますが)幾つかの疑問が湧いてきました。
 社頭にある案内板からの抜粋です。

祭神 應神天皇保食神(うけもちのかみ)・配祀 與次郎大人之霊(よじろううしのみたま)

例大祭 十月祝日(体育の日)

由緒・沿革 慶長年間、旧秋田藩主 佐竹右京大夫義宣(よしのぶ)公の飛脚那坷與次郎(なかよじろう)、江戸秋田間を六日で往復し忠勤を励んだが、故あってこの地で暗殺され、恋人お花の手によってひそかに葬られ、慶長十六年(1611)幕府は奉行配下杉本某を派して、四ツ家の鎮守八幡を共に與次郎稲荷大明神として祀られたと伝えられ、今なお秋田県より参拝者多し。五穀豊穣・商売繁昌・交通安全、殊に進学成就等の霊験あらたかである。健脚・スポーツの神、又縁結びの神として若人の崇敬篤い。

 「與次郎稲荷神社は、その名にあるように狐の化身である與次郎を祀っいる」という認識でした。ところが、ここでは「應神天皇(八幡神社)・保食神(稲荷神社)に、與次郎の霊を祀っている」と書いています。つまり「三柱の神を祀っている」ことになりますが、社号標と拝殿の額からは、祭神は「與次郎大人之霊・応神天皇」となります。そのチグハグさを「與次郎大人之霊を保食神として祀った」とすれば、ある程度納得できますが…。
 また、稲荷神社では初午(2月最初の午の日)に行われる例祭を書いていません。年間祭事も「與次郎祭・十月十日」です。そうなると、この神社は稲荷神社を謳っていても、「殺された與次郎の霊を鎮める神社」と考えたほうが素直に理解できます。

「幕府は奉行配下杉本某を派して…」

 徳川幕府が、こんな地方の「こんなこと」に干渉するのかという疑問があります。念のために調べると、旧六田村は天領(幕府領)でした。その関係で、(伝承ではかなり祟ったとあるので)幕府は、代官からの注進を受けて手際よく対処したと理解してみました。

気になる鳥居の寸法

 コンパクトな鳥居故に、具体的な大きさを知りたくなります。探すと、東根市『東根市文化財』に「与次郎稲荷神社正面に位置し、室町時代のものと推定される。高さ2.40m」を見つけました。これもネットの情報ですが、東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター『日本最古の石鳥居は語る』に「総高2.39m・柱高1.84m・柱径0.6m・柱間隔1.03m」の諸寸法がありました。

「六田」は宿場町

六田村
大日本帝国陸地測量部『楯岡』(一部)

 現在の住所表記は「四ッ谷」ですが、鳥居の通称は「六田の…」です。現在の地図ではその違いがわからないので、「明治三十四年測図昭和六年修正測図」とある五万分の一地形図をダウンロードしました。
 眺めると、羽州街道に沿った六田宿の外れに與次郎稲荷神社があるという位置関係がよくわかります。

 サイト『羽州街道交流会』〔宿場ルート〕に[間の宿 六田]があります。簡潔でわかりやすいので、以下の二項目(抜粋)を転載しました。

 六田宿は、清流白水川の恩恵を受ける地に開かれた宿場町で、歴史は500年前にもさかのぼる。

 最上三大石鳥居の与次郎稲荷に出会う。慶長年間に秋田佐竹候に仕えていた飛脚那珂与次郎が、六田宿で毒殺されたのを祀るため建立されたのが与次郎稲荷である。与次郎は、秋田と江戸を6日間で往復したとされ、白狐の化身と言われており、健脚の神として有名ランナーも参拝に訪れる。

改めて「六田の石鳥居」

 與次郎稲荷神社の鳥居は室町時代と古いのですが、その神社は江戸時代初期の創建です。最上では「山岳信仰が隆盛した時代に建てられた石鳥居が、その後の衰勢で鳥居だけが残った」という景観をよく目にしますから、その鳥居が立っている場所に神社を建てたということが考えられます。その他方で、近在にあった六田の石鳥居を與次郎稲荷神社に移転したという推察も成り立ちます。
 いずれにしても、現在は、一所で「六田の石鳥居」を見物し「與次郎伝承」も知るという恩恵に与ることになります。