岡谷市には、長野県神社庁“公認”の「十五社」が四社あります。その一つが神明町にある「十五社」ですが、古くは「今井村」だったので、混同を避けるために「今井十五社(神社)」と呼ばれています。
「岡谷IC」へのアクセス道路のため、かどうかは定かではありませんが、高規格道路のゆとりある歩道を北に向かいました。
現れた石柱を「十五社神社」と確認して、小山の上に続く石段の登り口に建つ鳥居をくぐりました。上を仰ぐと、萱葺きの家が階下に口を開けているのが見えます。近づくと、懸崖造りとも言える不思議な建物です。これは写真を見てもらったほうが確実なので説明は省きますが、支柱の枠を通して今井十五社神社の拝殿が見えました。
参拝順とすれば「拝殿前で拝礼が先」ですが、振り返って、やや俯瞰した位置からその全容を撮ってみました。屋根に千木のような板飾りがあるので社殿であることは間違いありませんが、楼門とは見えません。古色が乗った萱葺きが、何とも言えない趣を醸し出しています。
登り詰めた最上壇はまったくの平地ではありませんが、拝殿と本殿を除いてもまだ十分な空きスペースがあります。なぜ、このような「不安定な場所」に「不安定な造り」で建てたのか不思議です。案内柱から「今井十五社神社舞屋」をそのまま書き写してみました。
改めて眺めると、案内を素直に読んだ「下屋」がないので明治以前の景観ということになります。しかし、私の勉強不足で、「諏訪大社系の古い舞屋の形式」がどのようなものかわかりません。ここに来る途中にある「間下十五社神社」にも同じ萱葺きの舞屋がありましたから、それらが「古い形式」としました。
本殿は岡谷市の有形文化財に指定されていますが、覆屋の格子にガラスが貼られ、しかも内側が汚れているので外光が反射してその細部は見えません。
一旦は諦めましたが、ダメ元で、カメラを帽子で覆って映り込みを無くしてから撮ってみました。結果は「霧の中の本殿」でしたが、画像処理をしたら、ご覧のような凝った彫刻が姿を現しました。
左手に、境内社の「津島社」があります。他には下の駐車場の奥に「蚕玉神社」があるだけなので、何かと比較してしまう間下の十五社を持ち出すと、すきずき(隙隙)した境内に淋しさを感じてしまいます。「この謎」と言うか違和感は、後に解消することとなりました。
岡谷市役所『復刻平野村誌』から「十五社」を転載しました。以下、引用を除き「今井十五社神社を今井十五社」と表記します。
この中で、旧本殿の石祠が「白山社」として使われていることに興味を覚えました。しかし、今井十五社の境内には該当する石祠はありませんでした。