諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪の神社メニュー /

蚕玉社の葵紋 諏訪市神宮寺 '04.4.10

 諏訪大社上社本宮の一之御柱を後にして、別名は「波除」とある鳥居をくぐると境外に出ます。地籍は、その左奥に「宮之脇公民館」がありますから、大宮(諏訪大社)の脇→「宮之脇」で、そのものズバリです。

謎の神社

蚕玉社 公民館脇に幾つかの石碑があり、その左に山を別けるように延びているのが「上社の杜・歴史の散歩道」です。単に「参集殿の裏」と言えば、以上の文はすべて省けますが…。その「歴史の道」を登るまでもなく見える場所に小さな社殿があります。
 横滑りするようにその社殿の前に立ちました。しかし、「社殿額」といってもただの板切れですが、目を見開いても細めても墨が薄くなっているので読み取れません。とりあえず格子戸を透かすと、中の祠が、左右は諏訪大社の「諏訪梶」・中央はかつての輝きが残っている「葵紋」を掲げているのを見てしまいました。

蚕玉社 「これは徳川家縁の神社か」と色めきましたが、神社名が分からないのでその色もグレーになってしまいました。何か気になるので諏訪大社の社務所で尋ねると、大社とは関係のない地元(宮之脇)の「蚕玉社」と言います。この位置からは反対側となる「同じ境外」の御手洗川沿いにも蚕玉神社がありますから、諏訪大社を挟んで「蚕の神」を祀る神社があることになります。

葵紋の謎

蚕玉社 左がその神紋のアップです。水戸黄門でお馴染みの「葵」です。
 平成19年9月、北斗神社の右脇にある御堂内を覗くと、外からは大きな戸袋状に見える棚に小さな祠がはめ込まれていました。蚕玉社とあり、そこにも「葵紋」がありました。この時に、葵紋と蚕玉社に何らかの関連がある、と気が付きました。
 図書館なら長大な本の並木道を歩かなければなりません。最後の一本(冊)ということもあり得ますから、手軽なネットで検索しました。幾つかのサイトを覗く中で、一面に葵紋の<background-image>を散りばめた『蠶養國神社』を知りました。
 当用漢字では「蚕養国」となる神社の神紋は、徳川家と同じ「葵」でした。「養蚕守護の総本社で日本一社」とあるので、全国の蚕玉社が勧請して葵紋が広がったと思われます。これで葵紋の謎のベールが取り除かれましたが、諏訪大社以外は「からきし駄目」という私も露見してしまいました。