中村久太郎著『近世の中新田村』の「神社」の章に、「三峯神社は…」で始まる文がありました。
この中にある「青萱の仮殿・仮屋」に注目しました。これは「三峯社のお仮屋」のことです。諏訪市や茅野市では今でも同じ形態の祠を見ることができますが、それが原村でも残っているのかと興味を持ちました。
「いつか役に立つ」と丸めてしまっておいた、役場で購入した1/10000「原村全図(2枚)」がようやく日の目を見ました。その大きさに閉口しながら広げると、柳沢集落の東の外れに御手洗神社がありました。
すでに一部の木々に紅葉が見られる10月の中旬、散歩がてらにその柳沢へ出かけました。御手洗神社は初めてですが、「御柱街道」脇にあるので、何回もかすめていたことがわかりました。
現在は原村柳沢ですが、かつては「柳沢新田村」でしたから、柳沢の鎮守社になります。
前述の本は平成9年の発行なので、「現在でも仮殿が残っているのだろうか」と心配しました。しかし、御手洗社拝殿の左側に回り込むと、今は退色していますが青茅に囲われたお仮屋があり、その中に収まった三峯社がありました。祠の穴から「御眷属様拝借之牘」の一部が見えています。洗米と賽銭が供えてありますから、今でも講は健在で、毎年の葺き替えを怠っていないことが想像できました。
現在は、代参に任せるより、講中揃っての物見遊山も企画できる時代です。また、御札の代金を振り込めば宅急便で受け取ることも可能でしょう。そんな「お気楽」な現代からは、想像もできない山越えです。ましてや、八ヶ岳の赤岳と中岳の鞍部と言えば、れっきとした登山道です。そこを草鞋(ワラジ)履きで越えたというのですから、足裏を含めた健脚には恐れ入ってしまいました。
気温の上昇で剥がれたのか、前日降った雪が氷の粒となって、しきりに頭上から降り注いできます。季節外れの降雪と低温で、梢に着雪した大粒のミゾレがそのまま凍ったようです。
三峯社の写真を撮り終えた帰り道、思いがけず知人から声を掛けられました。彼は柳沢の住人ですからこの場所に“いる”のは当然ですが、遠地に住む私が畑中の道を歩いているのが不思議に見えたのでしょう。
「三峯社の写真を撮りに来た」と話すと、「去年は三峯講の当番で三峯社へ御札をもらいに行き、(御手洗神社の)三峯社の葺き替えもした」と言います。(私の目的を知っていたら)預かっていた文書を見せられたのにと残念がりました。
「講の構成は現在33軒・くじ引きの順番で3人が農繁期を避けた10月下旬から11月初旬に秩父まで行く・持ち帰った御札は、直会をした後で各家に配る・前年度の造りを参考にして萱を葺き替え、三峯社用の御札を納める(以上順不同)」と聞き出せました。「講から抜ける人もいるが、三峯講がなくなることはない」と力強い現状も伝えてくれました。