小川に三輪神社があるのは知っていました。地図上でも県道脇に三輪神社の表示があるのを確認していましたが、「諏訪大社のお膝元で、なぜ」という神社(祭神)なので、長らく参拝することはありませんでした。
カーナビは「Go」の指示を出していますが、狭い道に躊躇しました。結局は乗り入れたのですが、神社の前には空きスペースもありません。出直すことに決めて、その先を、対向車が来ないことを祈りながらグルグル回って県道に戻りました。周辺に駐車できる場所がないかと目を光らせましたが、アップルランド(スーパー)まで来てしまいました。かなり離れてしまいましたが、ここでは心置きなく駐められます。
写真の通り、五月の5時を回った時間に、全ての蔭が長く延びています。境内に「由緒書」がないので、豊田村誌編纂委員会『豊田村誌 下巻』〔第八章 信仰〕から「三輪神社」を抜粋して紹介します。
社地は、豊田「荊生化(ばらしょうげ)」とあります。伊那市高遠の「荊口(ばらぐち)」を知っていましたが「生化」が理解不能です。「とことん」が信条のこのサイトですが、ネット上では手掛かりさえも見つけることができません。当て字と思い色々と変換してみましたが…。
拝殿に「神楽殿」の掲額が掛かっているのが不思議でしたが、これを読んで納得しました。
何か精彩を欠く写真ですが、一応、屋根の反射光とその逆光に輝く若葉を狙って撮ったものです。本殿は完全に囲われており、その造作を見ることはできませんでした。
境内に、別格とも言える大きな境内社があります。「罔象女命(みずはめのみこと)」と書かれた新しい案内柱を読んで、『神長重実藤島社祝詞』に出る「小河の郷をふたゝひ頼房草創して…罔象女神をあはせ祭り奉る」を思い出しました。
小河(小川)で罔象女ですから、これが『祝詞』にある「藤島社」ではないかと胸が高まりました。これが三輪神社では最大の収穫だったと帰途につきました。
結果は『豊田村誌』の通りで、『神長重実藤島社祝詞』とはまったく関係がありませんでした。