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尖石さま 茅野市豊平尖石遺跡 '02.10.12

 何年ぶりかで「尖石(とがりいし)遺跡」へ行ってきました。かつては、登呂遺跡や平出遺跡とともに「日本三大遺跡」と称されましたが、その後、北や南の新興遺跡に押されてその影はすっかり薄くなってしまいました。現在は、尖石遺跡の名前より、国宝「縄文のビーナス」所蔵で知られる「尖石縄文考古館」のほうが有名かもしれません。

 「尖石」をまだ見たことがないという知人を誘って、勝手知ったる、といってもいつの間にか遺跡公園として整備された芝生を縫って、台地の外れを目指しました。

尖石遺跡「尖石」
尖石と「御柱」

 木漏れ日を受けている先端が尖った石が、遺跡の名前となった「尖石」です。ところが、何と「御柱」が建っていました。尖石以外のものに記憶がないのは、当時は御柱にまったく興味がなかったということでしょう。
 尖石の右手前にあるのが、これも記憶にない目測30センチの石祠です。「尖石」は磐座とも考えられるのであえて祠を安置する必要性はないのですが、私もタダの石にしか見えないので、「これは由緒のある石ですよ」と喚起するために“設置”したのでしょう。
 以下は、尖石の脇にある案内板です。

尖石
 この石は、高さ1.1メートル、根本の幅1メートルで、先端のとがっているとこころから、「とがりいしさま」と呼ばれています。古くから村人の信仰の対象とされたものらしく、いつの頃からか傍らに石のほこらが祀られました。遺跡の名前もこの石の形からつけられたものです。
 この一帯は、明治25年頃桑畑にするために開墾され、その時、見馴れない土器や石器が多量に出土しましたが、祟りを恐れて捨ててしまったといわれています。また、この土器や石器は、大昔ここに住んでいた長者の残したものであろうと、長者屋敷と呼びならわしていました。
 そしてこの「とがり石」の下には宝物がかくされているとの言い伝えから、ある時こっそり村人が掘ったところ、その夜たちどころにおこり(熱病)にかかって死んでしまったとのことです。この石を神聖視する信仰から生じた言い伝えでしょう。
 石質は八ヶ岳の噴出岩の安山岩で、地中に埋まっている深さは不明です。右肩の樋状の凹みは磨り痕から人工のものと思われます。縄文時代に磨製石斧を制作した際に、共同砥石に使用されたものとも、また縄文時代は石を貴重な利器としたところから、地中から突き出したこの石を祭祀の対象としたものであろうともいわれています。

 磐座にしては威厳がないし、砥石としては「わざわざここまで研ぎに来るか」とも思ってしまいますが…。

 諏訪には「祠があれば、祭神に関係なく御柱を建ててしまう」“風習”があります。この「尖石さま」も祠が安置されたばかりに御柱を建てられてしまいました。御柱とは縁もゆかりもない尖石ですが、ここに立っていると、縄文の昔から延々と「御柱」を建て続けてきたように思えてきますから不思議です。