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青柳宿跡の御社宮司社 茅野市矢ノ口

 2008年6月に撮った、かつて存在した青柳宿の桝形の一画に鎮座している御社宮司社です。旧甲州街道をトレースする人しか通らない道ですから、小公園に設置されたベンチを目にしても、その奥にある石祠に気が付くことはないでしょう。

青柳宿桝形
青柳宿跡の桝形(国道・富士見町方面space御社宮司社

御社宮司社 その時は、石祠が前後に並んだ眺めを新宮−古宮とし、真新しいものを金沢区出身の「新宿三平」会長の寄進と考えていました。当時は、諏訪大社上社を始め金沢区にある多くの神社に新造の鳥居や玉垣が出現し、その寄進者の名前が話題になっていました。

志也ぐじ田・社宮司田

 富士見町の瀬沢(旧瀬沢村)にある御社宮司社が「諏訪最南端」ではないかと調べる中で、青柳の御社宮司社の周辺に「社宮司田(しゃぐじだ)」の字(あざな)が残っているのを知りました。

字界図 茅野市教育委員会『茅野市字名地図』を調べると、確かにあります。ただし、国道とJRの両側に「社宮司田」が広がっていますが、御社宮司社は字「権現原」内です。この辺りはたびたび宮川の氾濫に見舞われたとあるので、現在とは別の鎮座地であった可能性があります。

社宮司田
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』〔金沢町(一部)〕

 こうなると『諏訪藩主手元絵図』でも、と鼻息が荒くなります。さっそく〔金沢町〕を開くと、上図の左端にある「中河原」はありますが…。

 「ウーン」と落胆したのですが、もしやと、(老眼で霞んでいる)「◯◯◯田」に全神経を集中させると、何かが光りました。

 改めてハズキルーペをかけて凝視すると「○くし田」で、変体仮名を当てはめると「志也くし田」となります。濁点は省略することが多いので、最終的には「しゃぐじ田」と確定しました。因みに右上の「◯◯畑」は『茅野市字名地図』では「町屋畑(まちやばたけ)」ですから、「也(や)」が共通する「待や畑」となりました。

社宮司田 上図は下部がほぼ北という描き方なので、180度回転させたものを用意しました。
 これで『茅野市字名地図』にほぼ対応したので、本稿に関係する名称等を重ねてみました。


御社宮司社再拝 '22.3.25

青柳宿跡の桝形
御社宮司社社地space青柳宿跡の桝形(富士見町方面)

 久しぶりに現地に立つと、「金沢地区コミュニティ運営協議会・金沢の未来を考える研究会」が平成29年に設置した案内板がありました。

青柳宿の御射宮司社(みしやぐうじしや)

 高島藩は一六五〇年頃より新田開発を奨励し、金沢地区でも大沢・大池・木舟新田を始め、宮川沿いの青柳宿のまわりも新田が開発されました。新たに田畑が出来ると検地を行って石高を決めていました。測量後に使った検綱を納めて御射宮司社をお祀りしました。
 ミシャグジ神は、太古の昔から信仰され、自然の中に神が降りてくると信じられ、五穀豊穣・子孫繁栄を守る神として大切にされました。特に諏訪地方は、諏訪の祭神守矢一族の守り神であったことから信仰が盛んで、各地にお宮が祀られております。又、諏訪大社の元神でもあります。ミシャグジ神の元宮は、茅野市宮川高部の神長官屋敷にあります。

青柳御社宮司社 祠は、「大正十五年金沢区建」と新しい建立です。繰り返しになりますが、字「権現原」の「権現」は「金山権現」に相当しますから、御社宮司社は現在地と異なる場所にあった可能性があります。それは別として、新しい祠は消滅していました。

 この御社宮司社は『権現の森(矢ノ口)』でも取り上げていますが、新しい史資料を目にしたので「続」として書いてみました。