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御射山神戸の御社宮神 富士見町御射山神戸 '21.10.25

旧御射山神戸村に見る「御社宮神」

御射山神戸「御社宮司社」
諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』〔神戸村(部分)〕

 『諏訪藩主手元絵図』に載る〔梨ノ木明神〕を探索した折に、「御社宮神」の存在を知りました。
 『手元絵図』では「神沢橋と御公儀橋の間の山手」となりますが、地元民ではない私では雲を掴むような鎮座地となります。

御社宮司社を確認 '12.8.19

 神沢は、御射山神戸八幡神社の北側を流れています。橋を渡ってから近くの家に聞き込むことにしました。

御射山神戸 御社宮司社 現地に立つと、国道と旧甲州街道の分岐点でした。
 計画通りの行動でチャイムを押しますが、反応がありません。待つ間に左手の斜面に目を向けると、…石祠の屋根が見えます。「ミシャグジだ」と直感しましたが、結局は留守とわかり、これ以上の長居は不審者に見られるとして玄関に背を向けました。

御射山神戸 御社宮司社 自宅で、国道から望遠で撮った写真を拡大しますが、石柱の文字が読めません。しかし、「御社宮司」のつもりで読めばまったくの同字でした。


 その後、再訪して家人に話を伺おうと思っているうちに歳月は流れ、さらにコロナ禍という時代に…。

『御射山神戸区誌』

 地元とあって、富士見町図書館に、小林浦光・伊藤勘編『御射山神戸区誌』があります。

御射山神戸「御社宮司社」 巻頭の折込『明治四年辛未六月 御射山神戸村繪圖 写』から、冒頭の『諏訪藩主手元絵図』と同じ部分を切り抜きました。
 「村入口」には、二箇所の「御射宮司森」が並んでいます。これは、御射宮司社が二社あるというより、以下に出る「立木を売却した結果」と見る方が自然でしょうか。

 これに関連付けるものとして、同書の〔御射山神戸年表〕に[明治五年]の項がありました。

区有地立木売却す。奥右衛門荒間・胡桃沢日影・山之神森・御社宮司・片瀬明神・大神宮・梨之木明神。

 再び同書の〔片瀬明神と御射宮司〕から、[御射宮司]を転載しました。

 『御射山神戸区誌』は区民限定の非売品です。差し障りがあるとして、姓は伏せました。
 今の下四谷町□□和市さん、および□□理髪店の西裏地区一帯を御射宮司と呼んでいる。今から数十年前にはまだ畑の中に森の大木の切株が点々と残っていたそうである。今はその切株もなくなって、□□和市さんのリンゴ畑や、梅男さんその他の畑となっている。
 和市さんの話によれば、かつてリンゴを植えるために穴を掘った所、石を積み並べた所があったり、火を焚いた跡らしく炭などがかたまって埋まっていたという。御射宮司の神祠は近世になり八幡社境内に移し祀られたといわれるが、筆者などは不幸にして今どの祠が御射宮司であるか知り難ねている。
 御射宮司は潔斉(ケツサイ)をする場所である。潔斉という字を辞書で見ると「ものいみ」「精進(ショウジン)」などとある。神様に奉仕する人達が世のけがれを払い落して綺麗な身と心を以って神様に仕える事である。女人は一切近づけず、七日間(後には五目問若しくは三日問になったという)此所に罷り潔斉を行い、斎戒沐浴して神事を行ったお籠り屋である。潔斉を済まさなければ神様をお迎えする事が出来なかったのである。
 お祭りをする前に此所で降天祭を行い、御神霊の降天を仰ぎ、お祭りが済めば昇天祭を行い、御神霊の昇天を祈り御祭の一切を終るのである。
 今でも諏訪下社の御舟祭(八月一目の遷座祭)の御頭郷に当れば、「御射宮司降し」「御射宮司上げ」と称し、八幡社に御頭郷総代各部落代表が集まり、神官により神事が行はれている。
 だから御射宮司と片瀬明神とは神様をお祭りするのに無くてはならぬ神様である。因に御射山神戸の御射宮司は諏訪郡の最南端のもので重視されているお宮であるという。

 明治初頭では村有地ですが、現在は個人の敷地内にあることがわかります。また、ネットで見つかった情報では、標柱は「御社宮司社」ではなく「御社宮司社」でした。御社宮司社は御射山神戸八幡神社に移したということですから、屋敷神として祠を新設したと想像してみました。

御社宮司昇祭 平成25年の御頭郷は富士見町落合と茅野市金沢でした。10月20日に御射山神戸公民館で行われた「御社宮司昇祭(みしゃぐうじあげさい)」を参観していたので、参考として載せました。