相本社は、ご覧のように県道16号岡谷茅野線の道下という土地に鎮座しています。そのため、鳥居は、県道の法(のり)面に向かい立つという状況になっています。この特異さは、現在の新道が造られたことに起因します。
左に見える車の先(後)の頂点が新下馬沢橋です。天井川である下馬沢川ですから、その橋の前後の傾斜を緩やかにするための工法がこの景観を出現させたことになります。因みに、それまでは「高道(たかみち)」と呼ばれる山際の道がメインでした。
相本社は諏訪湖の名残と言われる「馬場(ばっぱ)の池」の近くですから、地盤沈下が原因でしょうか、玉垣の石柱が傾きそれを両側から挟んだ単菅で補強されています。
その中を一周りするともう“終わり”なので、覆屋の格子に阻まれて見えない本殿の写真を強引に撮ってみました。結果は、格子で間引きされた社殿が写っていました。
相本社前の県道は私の通勤路です。御頭祭の時期になると「桜はまだかいな」と、大木であっても横向きで見える梢を注目しますが、柳に代わると相本社は全く視界に入らなくなります。
案内板には、相本神社を「俗に八叺(やかます)様と呼ぶ」とあります。今の人に「叺(かます)」と言っても通じないと思いますが、その記述が高部歴史編纂委員会『続・高部の文化財』の〔高部故事歴〕にあるので紹介します(原文はカタカナ)。
左は、「御柱迎え」の行列に加わった、御幣を立てた御舟(御船)です。上社本宮を出たこの行列は、先頭の本宮一之御柱に出会うと本宮へ引き返します。背景となった堤防が下馬沢川なので、相本社の手前ということがわかります。
御舟の中は見えませんが、現在は賽銭を投げ入れるのは沿道の住民だけですから、叺を用意することはありません。