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下馬社・下馬明神 茅野市高部

 下馬社は、上社の重要な摂末社である「下十三所」の一つですが、ネットや手持ちの資料で調べてもその所在が分かりません。過去にも何回か、『上社古図』に描かれている下馬沢橋周辺を探索しましたが、農作業をしている人に尋ねても首を振るばかりでした。
 「磯並社祭当日は、下馬社参向から始まる」と読んだことがありますから、現在でも現役であることは間違いありません。

下馬社 '06.2.18

 このところの寒さに、ストーブを大親友として引き籠もってばかりいました。今日はこの時期この時間帯では日最高気温と思われる5度ですが、徒労に終わっても運動不足の解消にはなると、下馬沢橋から、川を挟んで県道と相対する堤防道路を下流に向かってみました。
 “予定通り”下馬社との対面はかなわなかったのですが、「取りあえず足の筋肉はほぐれた」と、合流した県道から引き返しました。「日野リネンサプライ」を左に見て、視線を戻した民家と物置小屋の間から下を見ると、木の祠と御柱が見えます。

下馬社
下馬社

 近づくと、ケヤキの根方にも石祠があります。県道と平行する小道から両祠の正面を見比べますが、下馬社であるとの確証はつかめません。付近に類似の祠がないのを確認してから、新家は他所から移ってきた可能性が高いので、近くの旧家に助けを求めました。
 見ず知らずの家のチャイムを押すのも勇気がいりますが、縁側伝いに来た女性は、(取りあえず)自分が人畜無害であると認識したらしく、表情が柔らかくなりました。「下馬神社を探しているのですが」と問うと、「右の祠が下馬」と、願望に近い予想通りの答えが返ってきました。

下馬社 ケヤキの根元にある祠は比較的新しいものでした。台座から「昭和6年」と読み取れ、地元高部の某さんが寄進したことがわかりました。
 この下馬社は、4月に諏訪大社から参向があります。そのためか、周辺は、きれいに整備されていました。

下馬社は移転した

下馬社
守矢神長官史料館『復元模写版上社古図』

 左の『上社古図』では、神長官邸と下馬沢を挟んだ対岸に「下馬明神」があります。ただし、「今無し」なので、この時代では退転していた可能性があります。因みに、鳥居をくぐる道は「高道」と呼ばれる旧道になります。
 江戸時代中期の『諏訪藩主手元絵図』にも見当たらないので、最近になって現在地へ移転再建されたのかもしれません。

 下馬社に限りませんが、三十九所の鎮座地は、諏訪大社に問えば即座に教えてくれるでしょう。しかし、(ちょっと古くなってしまいましたが)インディ・ジョーンズになりきって自力で探すのも楽しいものです。ただし、財宝やスリル、それに巡り会いの「め」の字もありませんが…。

下馬社祭 '08.4.19

下馬社祭 「磯並四社祭」に先立って行われる下馬社祭です。神職は権宮司以下の3人でした。地元高部区では、氏子代表として神社役員(氏子総代)3人が参列していました。
 この日は、「LCV」のクルー3人と「諏訪大社」の腕章をつけたカメラマンだけでした。15日の御頭祭とはうって変わった質素な例祭で、この後、下馬沢川に沿って上流の磯並社へ向かい、磯並四社祭を行います。

下馬沢社 '08.4.4

下馬沢社 下馬社とは関係ありませんが、かつては神長官の敷地内だったと思われる農家の畑に「下馬社」の祠があります。下馬沢川の堤防上にありますから、こちらは暴れ川である下馬沢を鎮める意味合いがあるのでしょう。このサイトでしか紹介できないと思い取り上げました。