JR中央本線「すずらんの里」駅の山際に鳥居が建っています。御射山社への古参道入口ですが、鳥居を背にすると真正面に神社の杜らしき木の塊が見えます。
「これは何かあるぞ」とJRのガードをくぐると、その道の延長先は国道(旧甲州街道)の交差点でした。その信号「神戸八幡」を仰ぎ、戻した目の先に続いている参道を見て、初めて八幡神社がここにあることを知りました。実は、何かの思い込みから「パノラマスキー場」へ行く途中と信じていましたから、突然の出現に驚きました。
境内の案内板に「町内一」とある、富士見町指定天然記念物「神戸八幡社の欅(ケヤキ)」が太い枝を広げていました。見上げた後では自然と足元に視線が落ちます。「寄らば大樹の陰」でしょうか、石祠が幾つも並んでいます。石棒や男女双体像が収まっているのは道祖神ですが、“表札”もない空の祠では、今や地元の人でも祭神名は分からないかも知れません。いずれも、明治期の神社合併や宅地や道の拡幅などで、居場所を追われてここに流れてきたのでしょう。
拝殿前の基壇左右に、六角形の石台座が置かれています。その大きさから、「かつては巨大な神灯(灯籠)があった」と考えました。しかし、周辺を探しても残骸らしき石片さえも見つかりません。多くの人は視線が素通りするだけの、今となっては邪魔な「つまずき石」ですが、私はどうしても気になります。改めて観察すると、上面の加工痕は何かが上に乗る(隠れる)仕上げです。中心にズレ防止と思われる方形の穴があります。しかし(結局)、何もわからないまま注目の的を拝殿に向けました。
拝殿と見ていたのは、神明造りの覆屋でした。そのため、本殿の前は賽銭箱だけ、という余裕しかありません。多くは「拝殿の奥の別棟にありその前に扉が」ですから、彫刻に関心を持つ人にはうれしい神戸の八幡様でしょう。私も、その恩恵を受けました。
左端の扉に約2/3残った「紋」らしきものが見えます。注視すると「これは梶」と直感しました。根の本数まではわかりませんが、諏訪明神(現・諏訪大社)の紋に間違いありません。しかし、ここは「八幡様」です。改めて、格子戸に貼ってある昭和44年の古い由緒書きを読んでみると、「特に相殿向かって左に諏訪明神を祀ってある特殊な建造物で…」とありました。
帰り際に、参道脇にある灯籠の一つに異変を見つけました。なぜか、右側の灯籠だけが台座を含めて大きく削られています。盃程度の窪みはよく見られますが、これほど深く、また竿まで削ってあるのは初めてです。この時は疑問のままで神社を後にしました。
左は、前出の「六角形の石台座」です。小林浦光・伊藤勘篇『御射山神戸区史』に「御射山神戸年表」があります。ここで手掛かりを探す中で「銅燈籠」に注目しました。灯籠については他に記述がないので、(勝手ながら)写真の石造物は銅灯籠の基台であると断定しました。
嘉永 五年 八幡社へ銅燈籠奉納建立 小川金藏(八月)
昭和十七年 金属回収供出割当あり目標達成のため区内の鉄鋼類を回収、八幡社境内の小川金藏(現当主小川修平)氏寄贈の唐金の燈籠を了解を得て供出す(十一月十九日)
窪みは、「御守」用に削り取った跡と考えました。多くの出征兵士が武運長久を祈願した後に、そっと持ち帰ったのでしょう。ここは諏訪の地ですから「諏訪大社」に出向くのは当然ですが、それとは別に「産土の八幡様」として特別な思い入れがあったことは間違いありません。その八幡様が右側に祀られているので、右側の灯籠を対象にしたのでしょう。
諏訪社の扉写真にレベル補正をかけると、「これは!!」という赤と金が浮かび上がります。正(まさ)しく諏訪大社上社の神紋「諏訪梶」でした。
相殿の八幡宮にも何か白いものが残っていますが、こちらは全く判別できません。幣帛の左に「八幡宇佐大神守護」の木札が置かれていますから、総本社「宇佐八幡宮」の神紋「巴」と推測しました。
正面唐破風の彫刻は八幡様の眷属「鳩」ですが、上の飾り金具は、拡大して「諏訪梶」とわかりました。バランスよく両社を飾っていますから、気になっていた身舎(もや)上の蟇股にも注目しました。左の諏訪社側が「鹿」に見えたからです。拡大すると、左側の「四つ脚」に角がありますから「鹿」の番(つがい)と断定できました。
その流れで見ると右の鳥は「鳩」ですから、諏訪明神の神饌「鹿」と対比することができます。ここだけの話ですが、棟梁の加藤吉左衛門さんは、(内緒で)「千鹿頭社」を想定して設計したのかもしれません。
案内板には「様式」が“どうのこうの”とありますが、ここら辺まで「案内」してくれると、棟梁も「そうなんだよー」とうなずいてくれるし、我々も「なるほど」と合点するのですが…。
旧甲州街道に接する神戸では、8月の御射山祭に合わせて花笠を飾ると聞いています。花笠は、御射山社の穂屋の脇にあるのを見たことがあります。今年は「御射山神戸八幡神社」を取り上げたこともあり、本家の神戸へ花笠見物に出かけました。
八幡神社の参道入口を、隣家の花笠を入れて撮ってみました。かつては街道沿いに途切れることがなかったそうですから、灯りが入った夜は見ものだったに違いありません。
ここから、左右にある旧道への分岐まで歩いてみました。今も一軒ごとに掲げていますが、櫛の歯が欠けたように空地や無住の家があり、新しい家は奥に引っ込めて建てられていますから、昔を偲ぶだけとなりました。
境内で、「神輿くぐりがある」と声を掛けられました。その女性は集まった人達とも積極的に挨拶を交わしていますから、「花笠と神戸地区の関わり」の話を聞く中で、ネットで見た「ステップアップゼミ」主宰の「市子さん」と気が付きました。
太陽が完全に雲から離れました。ローソクを点けるという夜の花笠を見ることはできませんが、逆光を活かしてその情景を表現できそうです。社殿側が陰になっているので「尚更」という好条件です。オートのカメラ任せでしたが、計算通り、ススキの穂と傘・提灯が輝く写真が撮れました。