諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に、「宮川村 茅野三郎氏所蔵」とある『諸神勧請段(一冊)』『祝詞段※(一冊)』『根本記(二冊)』が収録してあります。以下は、(今回初めて読んでみた)この三書の「書目解題(解説)」です。四半世紀以上前の発行なので硬い表現ですが、よく理解できます。
この書が「嘉禎三年」に書かれたのか否かは別として、「ここに記載されている神社は、1237年には存在している」ことになります。諏訪では「『祝詞段・根本記』によると──」など、神社の鎮座年代を推定する“参考書”になっています。
一例として、『祝詞段』から「前宮周辺の神々」を紹介します。
同『根元記』にも、ほぼ同じ内容の祝詞があります。
「ツマタテ─妻立」と置き換えてみましたが、意味不明です。子安の修飾語かもしれません。また、「高部安蔵は、高部に住む雅楽(がこう)の安蔵さん」という程度しか理解できません。それ以外は「磯並十三所・出早・笠無(風無)・御炊・所(所政・所末戸)・若御子・若宮・相本・荒玉・子安・高部安蔵・御玉殿・柏手・峯湛・舟湛・檀湛」と、現在も“通用する”名称に変換できます。
また、カタカナで書かれているので、《読み方》がわかります。「磯並─いそならべ」「御玉殿─みたまどの」「御社宮神─ミサクジ」など、この時代の神楽ではこのように読み上げていたことがわかります。また、「檀湛(マヨミタタイ)」が前宮周辺にあったことが読み取れ、「諏訪七木」が「七箇所限定」でないこともわかります。