葛井神社では、元旦の0時を以て「御手幣送神事(みてぐらおくりしんじ)」が行われます。文字通りの、幣帛を“送る”神事ですが、前知識としてビデオを用意しました。
正月三が日も最後という日に、初めて葛井神社に行ってきました。テレビの「新春特集」で「御手幣送神事」を見たからです。
バイパス脇の駐車場は葛井神社の池畔で、右がグラウンド・左が温泉施設「アクアランド」という立地を初めて知りました。
さらに、右に池、左に体育館という裏参道を拝殿へ向かいます。拝殿の前に立っても古社を連想する杜はなく、神社公園とも言えそうな開放的な境内でした。その分風通しもよく、冷え切ったカメラが指の痛さとなって伝わってきます。
「葛井の清池」は名のみでした。言わば“白っぽいモスグリーン”の中に、溶けたような輪郭の鯉が見えるだけでした。
風が作り続ける甍(いらか)の波が反射し、その辺りを凝視しても「御手幣送神事」で投げ込まれた幣帛は見えません。カメラにPL(偏光)フィルターを付けてファインダーをのぞくと、白っぽい何かがわずかに見えます。日射しのない3時とあって、それを撮り終えると早々に葛井神社から退散しました。
思い出して駐車場から「前宮」の方向を見通そうとしましたが、林立する建造物が立ちはだかっていました。復活を望んだ「御室からの御燈(みあかし)」は全く不可能でした。前宮御室での神事もはるか昔に途絶え、その場所も推定地となっては偲ぶ余地もありません。
自宅で見ると、確かに波紋は消えています。しかし、白濁した水とあって「よく見れば」という程度でした。それでも画像処理(レベル補正)をすると、幣帛らしきものが浮かび上がりました。
別に、諏訪七不思議の一つ「さなぎ池」の真偽をどうこう言うつもりはありません。「フィルターを買ってはみたものの、使うチャンスがなかったのでこの効果を確かめたかった」ということです。深さも、幣帛が沈んだ場所は「深そうな色」に比べ意外と浅いようでした。
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に『諏方上社物忌令之事(神長本)』が収録してあります。ここに「七不思議」の一つとして載っています。
一、楠井池 御幣・御穀・酒、十二月晦日夜寅剋(刻※朝4時)に彼(かの)幣穀を奉入れば、遠江(※静岡県)いまの浦見付郡猿擲(さなげ)池に正旦夘刻(※朝6時)に彼幣酒穀彼池浮かぶ、宮人取上拝す、楠井與(より)猿擲池の間七日路あり、只一時に通ずるなり、
『諏方大明神画詞』にも、諏訪湖の御神渡(おみわた)りを見ようとした「タフト坊」が神力で一晩の内に「遠州さなぎの社」まで“飛ばされて”、諏訪へ帰るのに七日間かかったと書いてあります。言い伝えには「なにがしかの真実がある」ものです。(かつて)葛井神社の「清池」の底に時空の歪みがあり、何かの条件で静岡県までテレポートができたのかもしれません。
葛井神社には今でこそ本殿がありますが、かつては、池そのものが神体でした。「永禄九年八月、武田信玄、九頭井太夫に朱印状を与える」と題した『矢島文書』には
とあり、他の文書に見られる「宝殿(本殿)」が書いてありません。
竹村美幸著『ちの町史』には、以下の記述があります。
その台石がまだ残っているのを確認すると、思わず、鼻孔から「ウーン」と感嘆符が出ました。
かつては「瑞籬に囲われた際限なく湧き出る清水と池」で、その後は「その脇に慎ましく鎮座する小さな祠」という景観だったのでしょう。