『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』に、以下の記述があります。
一 、橋原村守屋社三澤村荒神社元天龍川端ニ而(して)大木え藤からまり茂盛して日中も其下闇夜之如く、(中略) 両村両社共山際え引今之所勧請す、…
洩矢神社は「天龍川端にあった」という話なので、その場所が気になります。
Googleマップで洩矢神社を拡大すると、参道が二本線で現れます(※ 現在は非表示)。これを見て、「参道の延長線上に旧鎮座地があるのではないか」と閃きました。
これは「本殿は、かつての鎮座地に向く方向で造営された」という考え方によるものですが、とりあえず「マイマップ」を作成して━線を引くと、…いい感じです。
その対岸が藤島社ですから、洩矢神社参道ラインから追った旧鎮座地は捷径橋(しょうけいばし)の袂となります。その位置関係を写真で表してみました。
度々書いていますが、「両社共山際え引」と書いているのにも関わらず、荒神社(藤島社)が今の場所に鎮座し続けているのが不思議です。
Googleマップが『ゼンリン』の提携を解消したので、以前のような詳細図が表示しなくなりました。そこで、『地理院地図Vector』で、洩矢神社の社殿と参道が表示する最大拡大図を用意しました。
洩矢神社の参道が神社前を通る鎌倉街道と直角でないことに何かの意味を求めれば、その一つに「参道の延長線上に旧鎮座地があった」を挙げることができます。それを、天竜川の川辺附近としたのが本稿です。