諏訪大社上社前宮を取り囲むように○○社と呼ばれる神社が多くありますが、いずれも小さな石祠がポツンという状態です。左に十間廊、右に内御玉殿を眺める短い石段が終わると、かつて「御手祓(おてはらい)道」と呼ばれた道が交差します。その辻の右に、多分誰もがまず仰ぎ見るというケヤキの大木があります。
その後、根元に戻した視線が捕らえるのが、何か曰(いわ)くありげに佇(たたず)んでいる「御室社」と呼ばれる小さな祠です。その「曰く」も、背後の塀に焦点が合うとたちまち現実に引き戻されてしまいます。「佇む」という腰が座っていないような表現も、この前を通るときにはいつも、「何かこの場所にしっくりこないなー」と感じることにあります。
「全ての神祭りは、始める時に神を降ろし・終了すると神を昇らせ祭場を現状復帰する」のが本来の姿だそうです。ここでも、その都度祭場となる「室(むろ)」が造られ・取り壊されたそうです。
その特殊性から、祠を造った後に御室神事が廃れたのではなく、「御室の神事が営まわれていた」という事実を伝えるための“記念碑”と見たほうが正確かもしれません。そのためか、私はどうしても「たまたま空いていたこの場所に祠を据えた」と見てしまいます。
神宮寺区蔵『上社古図』では、荒玉社の近くに「御室殿(みむろどの)」が描かれています。宮地直一著『諏訪史第二巻後編』から「第六図 上社古絵図(前宮・神原)」の一部を転載しましたが、絵図なので距離や方角は正確ではありません。
◯内を見ると、御室の構造が知識にあるので何となくそのイメージが浮かんできますが、そうでなければ何が描いてあるのかわからないでしょう。研究者は、この古絵図から「(社務所脇を通る)高道(たかみち)の下方に御室が造られた時代があった」と推定しています。
御室神事は「諏方大明神画詞」や「年内神事次第旧記」などに記述されています。その奇怪な内容は要約して紹介するのは不可能なので、(一部正確でない部分がありますが)前記の地元安国寺の歴史好きな皆さんが設置した簡潔な案内板に任せることにしました。
上社には、上・中・下の「十三所」とよばれる摂末社があります。御室社は「下十三所」に含まれ、総合ランク(位置づけ)から見ると下から5番目に当たります。
重要な「御室神事」が廃れたことによって、それを象徴するものとして造られた祠が、その時点でのグループ「下」に「御室大明神」として加えたのでしょう。