守屋神社(物部守屋神社)は、守屋山山頂の奥宮と山麓の国道256号沿いにある里宮の総称です。「1400年前、蘇我氏との戦いに敗れて逃げてきた物部守屋の一族が創建した」と伝えられています。
守屋山へのコースは幾つかありますが、今回は「立石コース」を選びました。
途中で奇岩奇石を眺めながら着いた東峰(1631m)には、磐座(いわくら)とおぼしき岩の脇に「守屋神社奥宮」の祠がありました。
その守屋神社奥宮ですが、異様なことに鉄格子で囲まれています。この柵は、いったい何の外圧をガードしているのでしょうか。
そんな疑問を思いながら祠の前に陣取ると、弓二振りが供えてあるのに気が付きました。「山之神」への供え物としてよく見られるものですが、守屋神社には「物部守屋伝説」があるので、どうしても軍備を司った物部氏との結びつきを考えてしまいます。
代わった1650mの守屋山最高峰である西峰には何もありません。標高は高くても、「磐座が無くては」祭祀の対象にならないのでしょう。
二度目となる守屋山は、諏訪大社上社本宮からの「神宮寺コース」で登りました。今回は、その目的の一つである「お七堂巡りの石」を紹介します。
冒頭に載せた大石の“正面”写真です。スワニミズムの原会長から「文字がある」と聞いていたので、期待を持った視線を注いだのですが…。すでに風化が著しく「何かの文字が彫られている」という状態でした。
この大石は、祠が出現するまで直接の信仰対象になった磐座に間違いありませんが、文字に関わる信仰がいつ頃から始まったのかは明らかではありません。図書館で何かないかと探していたら、『スワニミズム 第2号』に、会長本人が寄稿した〔守屋山の信仰〕がありました。私の出る幕がまったくないのでそのタイトルのみの紹介となりますが、「お七堂」を含めた守屋山についての“最新・最強”の文献です。気になる方は諏訪の図書館まで来る…より、購読するのが現実的でしょうか。
因みに、私はお七堂巡りの石と対面した後に読んだので、来年また守屋山に登る羽目になりました。これを読んでいたら…と思っても、私に与えられた順番ですからどうにもなりません。
守屋山周辺の村々は、日照りが続くと守屋山に登り雨乞いをしたそうです。その効果が現れないときは、祠に小便をかけたり祠を谷に突き落とすことまでしたそうです。早い話が「嫌がらせ」で、これには祭神の守屋大臣も怒って、たちまちにして雨を降らせたと伝えられています。柵で囲ってあるのはそれを防ぐためでした。
今年(平成14年)の8月中旬には、「上伊那郡箕輪町は、町長を始め役場職員ら7名が雨乞いに登った」と新聞記事にありました。
守屋山というと、必ず引き合いに出されるのが「この歌」です。『諏訪舊蹟誌』にも「風俗歌」として載っていますが、ここでは江戸時代に書かれた『諏方かのこ』から転載しました。後半には(私には)意味不明の箇所があります。
一、おじり(尾尻)
湖水の末天流(※天竜川)を言う。昔より樵翁牧童など雨晴れを卜(占)う歌なりとて
おじりの空晴れて守矢が嶽に雲を押し上げ、鵙(もず)吉鳥(きちと)囀(さえず)る時は、必ず雨止み天気になると也。賤山かつの(※意味不明・山賤の勝野某?)ただいたづらに言い出たらん口ずさみなれば、詞のさまの至りて愚かなるも却(かえ)っておかしからずや
諏訪では、守屋山と釜口(天竜川の流れ出し口)の二つを直接目視できるのは諏訪湖北東岸に住む人々に限られます。守屋山を紹介する歌として必ず取り上げられていますが、観天望気としての恩恵を受けるのは一部の地域に限られています。
諏訪神社上社には、神長官「守矢氏」がいました。物部守屋とは姓と名(と文字)の違いがありますが、読みは同じ「もりや」です。守屋山・物部守屋神社・守矢氏と揃えば、当然ながら、これに飛びついて多くの人が話題にしています。最近は「モリヤ」も加わって突拍子もない話が流布し、今や「バラエティと国際色豊かな守屋山」になっています。
「諏訪大社上社本宮の御神体は守屋山」とよく聞きますが、その全ては“外部の話”です。『諏方大明神画詞』を含む古文献には山を信仰の対象にする記述はなく、ましてや守屋山の名前などまったく出てきません。
諏訪大社では、御神体を(幣拝殿の裏山)「宮山・御山」としており、守屋山を祭祀や礼拝の対象としていません。守屋山が「禁足地」になっていないのはこれが理由ですから、「諏訪大社上社の御神体は守屋山」との話には距離を置くことが必要です。
天保5年に書かれた井出道貞著『信濃奇勝録』から転載しました。
物部守屋と神長(官)の関係はあくまで伝承として、守屋山の旧称を「森山」と書いています。
伊能忠敬が作製した『大日本沿海輿(よ)地全図』では、守屋山ではなく同名の「神宮寺山」が並んで書かれています。双耳峰を二つの山として記録したのでしょう。この時代では、諏訪側は、神宮寺山と呼び交わされていたのかもしれません。