「上十三所・中十三所」とある諏訪大社上社の重要摂末社ですが、順番としてその後に続くのが「下十三所」です。その下十三所の12番目に位置する「中部屋社」ですから、その存在が知られていないのもうなずけます。鎮座地は「諏訪市神宮寺」とありますから、諏訪大社上社の周辺であることは間違いありません。
調べる中で、(天保の改築当時のモノ)とある『諏訪上社旧大祝居館図』に、中部屋社があるのを見つけました。
ただし、「御社宮司社 二社 亦(又)春日社」が並記してあるので、「中部屋社+御社宮司社・春日社」という相殿形式のようにも見えます。
旧大祝邸は何回か訪れていましたから、その場所に比較的大きな社殿があるのを知っていました。しかし、由緒(ゆいしょ)を伺わせるものは何もないので、社名と祭神は不明のままでした。
ネット地図を広げると、旧大祝邸のその位置に「春日神社」を表示しています。居館図の「御社宮司社(春日社)」だけが存続し、中部屋社は消滅したのでしょうか。
後日、改めてその前に立ちました。しかし、周辺にある石祠にはそれぞれに神社名を書いた木札がありますが、これだけの社殿であっても何らの表示もありません。地元では“言わずもがな”ということでしょう。
(引用元を失念してしまったので)諏訪大社関連の本に、〔中部屋社〕が載っていました。
中部屋社の祭神は「御左口神」としていますが、春日社については書いていません。
前書の「宮田渡における中部屋社…」が、守矢神長官史料館蔵の復元模写版『上社古図』に描かれています。
塀の外という場所に「神殿中部屋」があり、広い社地の奥に社殿がありますから、かなり重要な位置を占めていることがわかります。
宮地直一著『諏訪史 第二巻後編』の図録の写真では、現在見る社殿を「中部屋神社」と注記しています。また、神宮寺公民館刊『語り継ぎ神宮寺の民俗』では「大祝祖先の守護神」とあり、「中部屋社及び付随した春日社」と書いています。一方で、諏訪地方観光連盟のサイト『御柱祭』の〔小宮詳細〕には、「春日神社」の名で載っています。現在では、名のみの大祝に直結した名を嫌って「春日神社」としているのでしょうか。