上から転がってきたのか地中から湧き出たのか、「なぜこんな所にいるんだ」と居心地悪そうに座っていたのが「小袋石(こぶくろいし)」でした。
その前に立つと、「諏訪七石」と呼ばれる巨石の基部には、雨が降らなければ消えてしまいそうな水の流れがあります。
カエルの雄と雌がいるのでしょうか。どこからともなく、高低二つの互いに呼びかけるような鳴き声が聞こえてきます。かがんでその辺りを注視しますが、その姿を見つけることはできませんでした。
これは、現地にある案内板をそのまま転載したものです。その中の「諏訪湖の水がここまで浸いていて…」の件(くだり)は、あくまで「言い伝え」ですから、それにイチャモンをつけてはいけません。
しかし、茅野市街をはるかに見下しながらここまで登(上)ってきましたから、五千年単位の過去形でも「湖面がここまでという話はないだろう」と言いたくなります。「太古」という次元では説明がつくそうですが、それは“八ヶ岳原人”以前の話になります。
また、「舟を繋いだ」には、「もう少しマシな話を考えてよ」とぼやいてしまいます。烏帽子状の突起にせめて穴でも開いていれば納得するのですが、見た目では絶対に綱を引っかけることはできません。「夢があって」とか「ロマンあふれる」から余りにもかけ離れた次元ではないか、と“母”に対する反抗期のように、やっぱりイチャモンをつけてしまいました。
案内板には「あった(今はない)」としていますが、小袋石のある斜面には「磯並社」「瀬社」「玉尾社」「穂股社」の石祠が散在しています。
高部歴史編纂委員会『高部の文化財』の〔高部の地形と集落の概観〕から、「小袋石」に関する部分を抜粋して紹介しました。
国土交通省国土地理院『地図閲覧サービス』で、全国の2万5千分1の地図をモニター上に表示できます。「まさか」と思いながらマーキングした地名を等高線で追うと、確かに同じ標高でした。実は、県道から下馬沢をさかのぼる道は結構急なので、「小袋石の標高はかなり高い」と信じ切っていました。そのため、「諏訪湖の水がここまで浸いていて」は突拍子もない話と思っていました。
先入観の呪縛から解放されると、「木舟」や「大池」、さらに青柳駅付近まで諏訪湖だったと肯定できるようになりました。
ただし、地名は他の要因でも説明がつきます。何より、その時代にはまだ人間は存在していなかったと思われますから神世の話としておきましょうか。