諏訪大社本宮の「摂末社遙拝所」に、35番目として「御賀摩殿(おかまどの)」があります。ただし、「賀摩=竈(かまど)」なので、社殿や祠はありません。
守矢家諸記録の『十三所造営』に、
とあり、「御賀摩は火地炉の〈釜殿(どの)〉でカマド。御室神事の記述で、〈塗る〉は、石の間に新しく赤土を詰める。祢宜家が担当」と解説がありました。
御室に籠もった釜神は「春になると出る」とありますから、武井正弘著『年内神事次第旧記』から「御釜」の文字を拾ってみました。(○○)は私の補足、【○○】は『旧記』の注釈です。
「注釈」を参照すると、釜神は、御室の神事が終わると(大祝が居住する)神殿(ごうどの)に移されたことがわかります。「御室神事」が廃絶した後は、神殿内の竈に“常駐”したのでしょう。
神殿は戦国時代の終わりに前宮から宮田渡に移転しましたから、釜神も、現在の「旧大祝邸」の台所に祀られていたと思われます。そのため、「御賀摩社(跡)」を前宮や本宮周辺で探しても、見つけられなかったのは当然のことでした。