昭和6年頃の五万分一地形図です。国道152号は、まだ開通していません。高部から杖突峠への「杖突道」は、凡例には「里道 道幅一間以上」とあります。
高部歴史編纂委員会『高部の文化財』には「昭和初期まで、毎日高遠より諏訪へ物を運搬する馬方と馬の通行が盛んだった」と書いていますから、正に地図と同時代ということになります。その、今は「旧高遠道」と呼ばれる道を歩くことにしました。
旧高遠道の起点は、「旧杖突峠入口」とある長沢の道標です。現在は道路拡張による景観整備で、ご覧の有様となっています。
今回は、初夏の暑さを避け(楽をするために)、舗装道路の終点である「静香苑」を出発地としました。
すぐに現れたのが、腰嶽大神と高部の山の神です。かつては数えきれぬほどの人馬を見てきた神々ですが、腰嶽大神については、今はその由来も失われた存在となっていました。
下馬沢の右岸に渡ると「七曲がり」です。その数をカウントすることはしませんでしたが、S字の道を何回も曲がりながら高度を稼ぎます。
一ヶ所だけ茅野市街が見下ろせる場所がありました。写真では見分けがつきませんが、茅野市役所が見えました。
この辺りが御贄坂だろうかと勝手に推測しながら、石畳が残る直路を馬方になった気分でゆっくり上りました。
一、古代東山道
…諏訪神社へ動物の贄を供えるための御贄坂(おにえざか)が諏訪側の七曲り辺りに設けられていたという。鹿や猪の生首を置く段状の休み場があったというが、今その場所はどこであったか不明である。長くきつい高部側の七曲りの上部にあったろうと考えられている。
杖突峠を行き交う車の走行音が聞こえ出すと、すぐに国道が現れました。改めて国道側から眺めてみましたが、何回も通過しているのにも関わらず、この場所に旧道への分岐があるとは気が付きませんでした。
登山道ではないので大汗をかくこともなく終わった約一時間の山歩きですが、まだ峠には至っていません。路側帯が足幅程度という“自動車専用道路”では、国道脇を歩くのは趣がない、と言うより危険です。見回すと、車道に沿った踏み跡のような小道があります。それを使うと、杖突峠の一画にある「高遠長谷部アジア公園※」の駐車場に飛び出しました。