カメラを抱えた男が現れたからでしょうか、小さな祠が一瞬ですが輝きました。しかし、彼は、こぼれた陽の揺らめきに秋風を感じただけでした。
道を挟んだ子安社は、その規模と社号標で一目瞭然です。
しかし、山の斜面にただ置いたような「所政社(ところまつしゃ)」は、コケが乗った石祠とあって背後の藪や落葉に完全に溶け込んでいます。幸いにも安国寺史友会が設置した「案内板」があるので、上を仰ぐだけで指を差せます。
アンダーラインの部分は『諏方大明神画詞』にありました。
10人も座るのは不可能ですから、下の「高道」の脇に仮屋を造ったのでしょう。「御室」の候補地の一つは(当時はなかった)「子安社」の辺りと言われています。
諏訪史談会『復刻諏訪史蹟要項・16』に「所政社」の項があります。
享保18年の『諏訪藩主手元絵図』には「トコ松」と書かれています。他所にある「ホクラ」と書かれた祠の絵はありませんから、この時代にはすでに名前だけとなっていたようです。ただし、その上に描かれた「峯タヽイ」と同じように、松のような枝振りの独立樹が描かれています。伝承または記憶の中の「所末戸社」の「所末」が「トコ松」となったのでしょうか。
この年の所政社は、小雪が舞っていました。総勢3名という神職ですが、諏訪大社宮司直々の参向なので現在でも重要な神事であることがわかります。
その「所政社祭」を下の道から林を透かして狙いました。望遠効果で、雪が舞っている感じがよく(偶然に)撮れていました。