親郷が「矢崎郷」になっているので、「矢崎(やがさき)御頭御社宮司社」としました。
現在も諏訪大社から神職が参向して祭祀を行っているのが、「塚原・矢ヶ崎鎮座」とある「御頭御社宮司社」です。
去年の3月初め、上原の千鹿頭神社から矢ヶ崎の御座石神社までを、永明寺山の裾を巡るコースで歩きました。この時に偶然見かけた石祠が、この御頭御社宮司社でした。
雪が残っている二枚の写真は、その時のものです。饌米とカップ酒が供えてありました。私が適当に選んだコースですが、その先々の大小問わない祠の前に必ず供えてありましたから、私の“散歩・散撮”と違い、正式に巡拝したのでしょう。
最近、「長野県神社庁」“所轄”の「御社宮司社」をまとめています。旧塚原村と旧矢ヶ崎村の御頭御社宮司社の番になったので、最新の状況を確認することにしました。前述の“山麓コース”は、諏訪では「汐(せぎ)」と呼ぶ用水路沿いにあり、車も少ないのでのんびり散策するには最適です。新緑の季節に歩くのもわるくないと思いましたが、今日は写真だけとしました。ローソンの片隅に車を駐め、とがめられないようにそっと裏道に回りました。
「太陽精工」の左から、公道とも同社の私道とも見分けがつかない道を進みます。位置的には「裏参道(裏道)」に当たりますが、この道しか境内に入れないようです。
相も変わらず、と言っても、今日は今にも倒れそうなった「二之御柱」が迎えてくれました。他の三本は、去年と同じまま片隅にまとめてありました。
遊具があるので、「境内」と言ってもフェンスで囲われた「公園」でしょうか。伸び始めた草に踏まれた形跡がないので、今時の子供はここでは遊ばないのでしょう。ただの草原(くさっぱら)なので、写真を撮り終えると後は帰るしかありません。
御頭御社宮司社の「鬼面」です。八ヶ岳山麓では、石祠にこのような「鬼」を彫ってあるのをよく見かけます。
隣県の山梨では、本殿大棟の鬼板に“立派”な鬼の面を掲げています。諏訪では石祠に限られていますが、「なぜ」なのかはわかりません。
冒頭に書いた諏訪大社の参向ですが、公式サイト『信濃国一之宮 諏訪大社』の「祭事表」に、「6月28日・御頭御社宮司社祭(ちの)」とあるのがこの御社宮司社です。