「千鹿頭神社はどこだ」と地図を眺めると、葛井神社の参道の延長が千鹿頭神社です。表示のスケールで“目算”すると、その間は約700mです。「何かある!」と思いますが、私の貧知識では全く閃きません。
「アクアランド」の駐車場を拝借して、葛井神社の裏から境内を素通りして鳥居を出ます。千鹿頭神社との位置関係を知っているからこそ言えますが、正面の山手に千鹿頭神社の杜が見えています。国道を渡ると、『諏訪藩主手元絵図』では「千鹿頭小路」ですが、現地では「鍛冶小路」の標柱がありました。
「城下町」といっても何も残っていません。小路が突き当たると、その町割りを名前で残した千鹿頭神社でした。かつては舞屋などがあったのでしょう。短い石段を上がると棚田のような平地が左右に広がっていました。
本殿はさらに上の斜面に、檻(おり)のような覆屋の中に鎮座していました。保護というより閉じこめているような異様な造りです。
格子からカメラを差し込んて撮ったのが、この写真です。全容は見えませんが、一間社流造です。
改めて本殿周りを眺めると、この千鹿頭神社には御柱がありません。目に入っていた大きな御柱は、右奥にある小さな祠を囲んでいました。私にとっては、諏訪では“5分の2社目”の千鹿頭神社です。知識も資料も少ないという状態を逆手にとって、「ここでは、御柱を建てない決まりが残っている」としました。
御柱のある小祠は「天満宮」でした。最近は、地区の結束を高める意味合いもあって、小宮の「御柱祭」を盛大に行います。この地区では「千鹿頭神社には御柱を建てない」という伝統を重要視したので、本来は御柱とは無関係の天満宮に御柱を建てるようにしたのでしょうか。
ついでだから、“「風林火山」に登場する”板垣信方の屋敷跡「板垣平」まで行ってみようか、と雪で覆われた小道を登りました。
すぐに合流した車道の下方から夫婦連れが上ってきます。普段着の空身ですから地元の人でしょう。カメラを抱えた私を見て、「カモシカがいるから撮ったら」と声を掛けてくれました。
諏訪では有害鳥獣駆除の筆頭がシカですから、カモシカといえども特に珍しいという存在ではありません。訊くと、「この辺りでは群れでも現れる」と言います。カモシカは、目に入っているはずの人間より右方から聞こえる犬の吠え声を警戒しているようです。「本日、シカの駆除があるから注意」の立看板を見て、上原城の遺構と思われる石垣を見てから引き返しました。
ちの地区センター刊『ちの町史』から〔上原千鹿頭神社〕の一部です。千鹿頭神社に共通の「表現」が、ここでも使われていました。
この文に合わせて、西山から千鹿頭神社を中心に遠望した写真を用意しました。