諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』に守矢家諸記録類が収録してあり、諏訪神社上社の造営記録が載っています。このうち天正6年(1578)の『十三所造営』を読んでみました。
苦手とする漢字の羅列に読み飛ばしていましたが、改めて読み直す中で「七日路」に目が留まりました。「悪魔が害を及ぼすと神社が鳴動する」も気になりますが、次に続く天正7年の造営帳を読んでみました。
ここでは各社に本地仏と祭神が併記され、若干の“解説”も加えられています。関係するものだけを抜粋してみました。
八劔 辯才天
見目者見旨(七日か※)路外之事給故欲爲悪魔障碍之時彼社振動矣
鷺宮 大威徳 手長大明神
此御神者七日路遠江出御手給也
荻宮 文殊 足長大明神
彼御神者七日路一足仁行給也
達屋 不動 香鼻大明神
此御神者香知七日路外之事給也
鷺宮と荻宮については、[散歩道メニュー]「手長神社・足長神社と鷺宮神社・荻宮社」でも取りあげたので、詳細はそちらを御覧ください。
「八劔」の「見目…」は、『十三所造営』とほぼ同じ内容です。「見る目は七日路外の事を見給う。故に悪魔障害の欲を為すこの時、彼の社振動す」と読んでみました。
悪魔はともかく、「人間では七日掛かる場所にあるものが見える」ということでしょう。なお、参考として載せた写真の八劔神社は、この時代では諏訪湖中の高島にありました。
「達屋」は「香を知る」ですから「匂いがわかる」と解釈しました。試しにネットで検索した「香鼻・香鼻明神」が外れたので、「香」は「嗅ぐ」ではないかと「嗅鼻」で検索すると、「見目・嗅鼻」が見つかりました。
改めて「見目 嗅鼻」で再検索すると「見目嗅鼻(みるめかぐはな)」が多く表示します。しかし、両者は「閻魔大王配下の(男女の)鬼」とあって、「見目・嗅(香)鼻」は「八劔・達屋」とはどうやっても結びつきません。神仏習合の時代ですから、諏訪独自の習合があったのでしょうか。
『諏方大明神画詞』では、「七日路」を「諏訪─静岡間」に“想定”しています。そのため、各明神の「見える・一足飛び・手が届く・匂いがわかる」範囲は、その距離となります。
ここで、人間の五感や身体に当てはめれば、他に「聞こえる」神社がある可能性を思いました。さっそく心当たりの史料を読み返してみましたが、その思いは空振りに終わりました。
次に閃いたのは、この四社は「諏訪神社上社を守護する“四天王”」という位置付けです。しかし、こちらも方位や場所に統一性がありません。
結局、今回も守矢文書の一部を紹介するだけで“成果”を上げられずに終わりました。しかし、新たなページ「八劔神社と達屋神社」を加えることができ、八劔明神でさえも叶わない「430年前のこと」を見ることができました。