「茅野市米沢字(あざ)宮3212」は、長野県神社庁のサイトにある御社宮司社の住所です。ネット地図は小字(こあざ)を省略しているので、番地を表示する『MapFan Web』を選びました。
「米沢3212」で御社宮司社は見つかりましたが、近くに「鋳物師屋(いもじや)」の地名と「鋳物師屋公民館」を表示しています。珍しい地名なので名前だけは知っていましたが、あの辺りという程度でしたから、読みも「いものしや」で済ませていました。今は地図上ですが、改めて鋳物師屋と御社宮司社の位置が確認できました。「米沢」では大ざっぱなので、「鋳物師屋」を加えて「鋳物師屋御社宮司社」としました。
鳥居がなければ神社と気が付かないような社地と社殿でした。昼時と重なって、工事関係者の車が参道に二台も乗り入れています。大きくドアが開いていますから、昼寝の邪魔をしては、と右側の空地を大きく回り込んで鳥居をくぐりました。
本殿は覆屋の中なので、外からは全く見えません。正攻法で本殿正面を、と拝殿の格子戸から窺いますが、本殿前の扉が一枚板なので、その一部も見ることはできませんでした。その扉の左右には「諏訪梶」の神紋がありました。
鳥居は明治期でしたが、御神灯の元号は諏訪では珍しい「元文」でした。自宅で調べると1738年と古いものでした。
米澤村村史編纂委員『米澤村村史』から、関連する項目を幾つか拾ってみました。
巌谷修さんは、今「文字」として知りましたが詳細は全くわかりません。「行屋」は、写真が添付してあったので、参道と社殿の右側に広がる草原(くさはら)の存在理由が納得できました。また、旧鋳物師屋新田村の御社宮司社ですから「鋳物師屋御社宮司社」としたのは正解でした。