平成21年に、南大塩の御頭御社宮司社を参拝しました。その折に案内板を読んで、マーキングした箇所に注目しました。
立ち寄り参拝者には意味不明となる「上と下の氏神」ですが、目の前の御頭御社宮司社の他に、(どちらが上・下なのかわかりませんが)御社宮司社がもう一社存在する可能性を思いました。しかし、聞き込みでは「知らない」、周辺を歩いても「見つからない」という結果に終わりました。
「ならば図書館で」と、『南大塩の歩み』や『諏訪史蹟要項』を手にしましたが、…載っていません。そうこうしている内に、この文言は記憶の中から消えていきました。
連日の暑さも最高気温が30度を越えると、標高1000mの暮らしに慣れきった身ではかなり堪(こた)えます。外出を控えようと扇風機を納戸から出し、準備万端と、二つの図書館から“諏訪関連”本を限度いっぱいに借りました。
その中に、信濃毎日新聞社『諏訪大社 祭事と御柱』があります。ふと思い出した〔御頭御社宮司社祭 六月二十八日〕を開くと、
とあります。平成4年の発刊ですから、7年後(平成11年)に刊行した『南大塩の歩み』に“このこと”が載っていないのが不思議です。それは編集者の都合として、写真付きなので、聞き込みが有利になると考えました。
南大塩区は旧親郷の大村とあって、大きく立派な公民館があります。
尖石考古館
本を幾つか開く中で、公民館が建つ前にあったのが尖石(とがりいし)考古館と知りました。
このユニークなデザインを見て、姪を連れて見学に行ったことを思い出しました。この時に対応してくれたのが宮坂英弌(ふさかず)氏本人だったのかは、今となっては不明です。
目論見通り常駐の職員がいるのを見て、口上とともに持参した本の写真を指し示しました。話1/4でわかったらしく、手早く住宅地図をコピーし、私の目的地にマークをしてくれました。
さっそくに向かうと火の見櫓があり、その一画に説明通りの景観がありました。
事前調査のストリートビューでこの場所に道祖神があることを知っていましたが、その前に立って、初めてそれに並んだ石祠があるのがわかりました。ただ、道という人の営みに背を向けたかのような格好の二棟の祠が、私には異様に写ります。
その前に回り込むと純白の幣帛が納めてあり、今年も「御頭御社宮司社祭」が行われたことがわかりました。
しかし、新材で補完された向拝柱を含め身舎の周りを探しても銘はなく、それも何か曰わくがあるように思えてしまいます。
上写真を逆方向から撮ったものです。前は民家の庭ですから、祠の不自然な向きがわかります。しかし、それが却って、原初からこの場所と向きがまったく変わっていないことの証明にもなりそうです。
右脇に立つ大きな幟枠には、「嘉永七申寅年(1854)正月望日」と読めました。「申寅」ですから、「御柱年に御頭郷に当たったのを記念して」と(勝手に)想像してみました。
この時点では不明でしたが、帰りに公民館で確認した話では、大きな祠が御頭御社宮司社ということでした。これで、9年越しの参拝が叶ったことになりましたが、拝礼するのを忘れていたような気が…。
なぜ「石」に異体字を使っているのか不明ですが、公民館で頂いた『縄文の里 千 南大塩 名所旧跡案内図』に、上・小窪・中・下中・副・下の各辻があります。それだけ大きな集落ということになりますが、これで上辻と下辻に御頭御社宮司社があることになりました。
写真の三叉路が「下辻」です。下御頭御社宮司社とは道を挟んで対面になる場所に石造物が並び、「津島神社石碑」の案内板もあります。火の見櫓を含め、この場所が「下」の中心地であることがわかりました。
改めて『諏訪藩主手元絵図』を眺めると、「下辻」に赤い鳥居があります。しかし、案内板が言う「氏神」は離れた場所にあります。『手元絵図』は二ページに分かれていますから、誤記ということにしました。
因みに、集落を縦貫する川は用水路です。
諏訪史談会編『諏訪史蹟要項 茅野市豊平篇』〔南大塩村〕に、[御頭御社宮司社]と[千本木小平氏祝神]が項目だけあります。本文は締め切りに間に合わなかった(または頁数の制約でカットされた)と考えましたが、(見当違いを恐れずに)本来ここに載るはずだったものを探してみました。
同書にある〔舊蹟年代記記事〕から、一部を転載しました。因みに、『年代記』は冒頭に村の草分けを挙げ、次いで土地の有名処を並べる“書式”になっています。しかし、句読点がないので、作者に「そんなことは書いていない」と怒られる読み方になる可能性があります。
諏訪郡諸村並舊蹟年代記
南大塩村…御頭屋敷芝間御社宮司社千本木実はけやき六かひ弐尺程小平氏宮八劍宮有…
諏訪史談会の編集(担当)者は、これを挙げたと考えました。私は「御頭屋敷・芝間・御社宮司社・千本木 実は欅、六かひ(抱え)弐尺程・小平氏宮・八劍宮有」と読みましたから、「御社宮司社が上御頭御社宮司社・小平氏宮が下御頭御社宮司社」と理解しました。「千本木」については、『南大塩の歩み』に、「千本木辻・千本木坂」の名称がありました。
「小平氏」にヒントを得て、頂いた住宅地図を改めて注視すると、祠の正面に当たる一画には「小平」姓の家が数軒連なっています。そのことから、小平氏の本家筋がこの場所にあり、氏神として勧請したのが御社宮神としてみました。また、この小平氏が『小平物語』に関わる家系であるのかは(私の知識では)わかりません。