春宮の鳥居がかなり古そうなので、「いつ建てられたのか」と柱の周囲を調べたことがあります。しかし、寄進者や年号など手掛かりとなる文字は何も彫られておらず、その場では何らの情報も得られませんでした。
調べると、通称「春宮の大鳥居」は万治二年(1659)の建立とされ、諏訪大社最古の石造物とあります。これは、近くにある「万治の石仏」の伝承から「割り出した」造立年なので、信憑性はありません。
石鳥居が建てられる前は、式年造営の年に建て替えられる木の鳥居だったと思われますから、「春宮の大鳥居」と呼ばれるように、当時としては度肝を抜く大きさと美しさだったに違いありません。高さは8.2m。柱の太さは周囲2.1mとありますから、3で割れば直径70センチ弱になります。これに350年余の歴史というか汚れが染み込んでいるので、同じ白御影石ですが平成15年に新造した上社本宮の鳥居と比較すると、大きさと優美さでは劣りますが風格では勝っています。
増澤光男著『諏訪の国風土記』では、「半ころびの均整のとれた構えは、三百五十年間微動だにしない」とあります。ところが、「半転び」が何のことなのかわかりません。調べると「柱頂(頭)から見下して柱元が半径だけズレた事をいう」とあり、改めて写真を確認すると「その通り」でした。また、地震や車の通行による影響は避けられないはずですが、「微動だにしない」とあるように現在もビシッと決めています。ただし、よく観察すると、左の柱のつなぎ目がややズレています。
霞んでいますが、上写真の中央左右に広がる白い帯は諏訪湖です。かつては、国道の交差点にある「春宮大門」の辺りが湖岸だったのでしょうか。夏の遷座祭が「御舟祭り」と呼ばれるのは、「舟に御霊代を乗せて秋宮へ遷った名残」という話があります。
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第四巻』に『古日記書抜』が収録してあります。解説に「記載事項と筆跡とにより判断して、本書を書留たる神長官は(守矢)実有なるべきかと思わる」とあります。“神長官家の記録だから間違いない”として
一、延宝三乙卯下之春宮え石の鳥居建大坂(※大阪)より石工来る
を取り上げました。延宝3年は1675年です。「6年毎に木造の鳥居を建て替える」という式年造営が続いた結果、諏訪の近辺には長尺の石造物を建てる技術者がいなかったのでしょう。「350年間微動だにしない」技術は大阪のものでした。
地元紙の長野日報に「巨大な礎石2個発見」と載っています。写真を見て驚き、また納得しました。これだけの大きさがあったらこそ350年間も支え続けられたのでしょう。
記事によると、礎石は鳥居の接地面から約2m30cmの深さに埋まっていたそうです。写真では、奥の礎石が170×130cm・手前が220×190cm。高さはそれぞれ110cm・重さは推定10数トンだそうです。また、「それぞれに柱を差し込む直径73cm、最も深い部分で25cmのホゾ穴がある」と続きます。
すでに型枠を作っていますから、コンクリートを打つ日も近いと思われます。
一目で大きさがわかる一枚を追加しました。