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諏訪神社下社「神宮寺跡」 '13.10.17

■ ここでの「神宮寺」は「狭義の神宮寺」です。千手堂や三重塔は痕跡も残っていないので取り上げていません。

 言成(いいなり)地蔵を調べた縁で、神宮寺跡を歩いてみました。上社もそうですが、廃仏毀釈が徹底的に行われたことを身を持って知りました。以下に出る境内図の版木は岡谷市の照光寺に残っているそうですが、秋宮の部分が、削り取るどころか切断されています。「そこまでやるか」と思うのは、今だから言えることでしょうか。

 今井邦治著『諏方上下社神宮寺資料写眞集』から、『信州諏方法性宮本地 海岸孤絶山法性院神宮寺境内圖』の一部を転載しました。これには「慶安の頃」と説明がありますが、神宮寺の大門に階段(きざはし)が描かれていることから宝永以降に作られた可能性があります。

海岸孤絶山法性院神宮寺境内圖

 そのままではわかりづらいので、旧跡などに付箋を付け、水系を青く着色しました。

 『神宮寺境内圖』にある道や旧跡などを表示させた、『神宮寺跡マイマップ』です。建造物を表示しないバージョンになっています。
 現在の道と比較できるように載せてみましたが、あまり参考にならないかもしれません。


神宮寺の旧跡

 今は秋宮の駐車場・少し前は山王閣・はるか昔は霞ヶ城だった台地の縁から、今は無き神宮寺を想像しながら眺めてみました。絵図と同じ向きにしたいのですが、俯瞰できるのはここしかありません。

神宮寺

 今回は、蓮池跡周辺に絞った話です。追々、千手堂迄広げてみたいのですが、何も残っていないので…。

千手ノ滝(せんじゅのたき)

神宮寺「千手ノ滝」跡 『神宮寺境内圖』にある「千手ノ滝」の名残です(現在、凍結中)。その左に石段があったのですが、通り掛かった古老と呼べる男性の話でも「石段の記憶は無い」とのことでした。
 神宮寺三十五世住職の時に「大門の石階を築き玄関を造す」とあるので、宝永の頃に新設された石段になります。後付けとあって、スムーズに完全撤去ができたのでしょう。今も残る石垣に、その跡が残っていないのも頷けます。

石段があった参道跡?

 言成地蔵の前に民家があり、その外れが笹藪になっています。「何か怪しい」と密生した枝葉を透かすと、破線の間だけに石垣が無いことに気が付きました。
 かつては石段を登ってここに出たと考えたいのですが、藪であってもゴソゴソと確認することはできません。写真を撮るだけにしました。

独鈷水(とっこすい)

独鈷水 独鈷水は、民家の敷地内にあります。当主に写真公開の許可を頂いたので、ここに載せました。
 壁面に塩ビのパイプが見えるので、井戸でないことがわかります。「この石囲いは私が造った」と話してくれましたが、それ以前の状況は聞き損ねました。
 『海岸孤絶山起立書』には、〔独鈷水〕として「開山弘法大師独鈷杵を以て此の井を加持し玉う、故に独鈷水と号す、当山偸伽修法の閼伽水なり井の頭に樅の大木あり三囲半なり」と説明がありました。

蓮池

 同書に「白蓮の名池也、往昔華園院の旧跡也」とあります。現在も庭園の一部として残っていますが、藪になっているので、俯瞰した写真を載せました。
 左下にある東屋風の屋根の下が独鈷水です。ただし、絵図にある湧水池そのものなのかは確証を得られませんでした。

御膳水

 道路脇というか更地になった住宅地の端に、明治天皇が御幸で立ち寄った際に差し上げたという「明治天皇御膳水」碑がポツンと立っています。

明治天皇御膳水 その下に吐出パイプがあり、プレートを模した中に「徳孝泉」とあります。もちろん、独鈷水を捩(もじ)った名前であることは間違いありません。
 これが、『神宮寺境内圖』に描かれている、名称はありませんが、泉のような小さな池でしょう。

神宮寺方丈跡

神宮寺方丈跡 言也地蔵尊手前の石垣に、排水口の石組みが見られます。田畑の石垣には不要のものですから、神宮寺の遺構でしょう。
 『神宮寺境内圖』を参照すると方丈の石垣に相当しますから、その上部に境内が広がっていたことになります。その関係から、下壇が本覚坊の敷地となりました。

神宮寺方丈跡
言也地蔵尊

 人家の写り込みを避けたのでその一部となりますが、神宮寺跡を見下ろしてみました。『境内圖』では、手前の道も含まれます。

本覚坊跡

本覚坊跡 言也地蔵尊の下から、現在は民家が建っている本覚坊跡を見下ろしてみました。
 背後の木々が秋宮の杜ですから、この辺り一帯に塔頭が散在していたとは全く想像もできませんでした。


弥勒菩薩

弥勒菩薩 左図は、縮尺・方角は違いますが冒頭に挙げた『神宮寺境内圖』で、ここに「弥勒」が描かれています。
 この辺りも民家が広がっており、かつては伽藍があったとは信じることはできません。


弥勒菩薩坐像 その「弥勒」は、現在は「大道」の左側・土田墓地の入り口にあり、「弥勒菩薩坐像」の名があります。
 背中に「天正二年(1574)」が刻まれ、諏訪では銘があるものとしては最古の石仏です。