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春宮の大灯籠 '06.10.13

 「春宮の大灯籠」と聞いたか読んだ記憶があるので、見当を付けた場所に向かって春宮の大鳥居を後にしました。ところが、すでに春宮大門(一之鳥居)の下です。その手前が「見当の場所」だったので、「大」鳥居からその亜流として「大灯籠」を自分で作(創)ってしまったのかと悩みました。
 それでもと、国道を突っ切り、現れたガードを潜ると右手が下諏訪町役場という地点です。「やっぱり“大創作”だったのか」と引き返すと、道向こうに灯籠が…。直進する目線では松の緑に隠れていたのが、目に入らなかった原因でした。

春宮の大灯籠

春宮の大灯籠 すっきりした背景を、と移動したり身を屈伸させるのですが、三方とも塀や植栽が邪魔をします。その中で、灯籠の全容が見える・広角歪みが少ない場所として、道向かいの店舗に背を付けるように撮ってみました。
 巨大な笠を下から仰いだときは、“頭上の脅威”とも言えそうな危うさを感じましたが、ここからは台座とのバランスが取れその不安定さは全く感じません。
 整備された一画に『石燈籠整備の記』という石碑があり、「諏訪大社春宮矢木先門の是の石燈籠は今を去る文政十二年巨匠山田金衛門の名作にしてその由緒上又雄渾なる形状からも當地方稀有の存在にして當大社の文化財の一なり(以下略)」が読めました。

春宮の大灯籠  灯籠の図解では「中台」とある板に、コブのようなものが付いています。目を凝らすと小さな獅子で、初めて見たこともあって大きな違和感を感じました。
 石質が違うことから後世に取り付けられた可能性もありますが、神社建築の木組で動物を彫刻した木鼻にも似ています。

 後日、図書館でこの灯籠について調べましたが、必要とする高さを始めその詳細が見つかりません。わずかな記述の中にあったのが、『整備の記』とは異なる、金右衛門の長男平蔵が造ったとある文でした。

「信陽」

 この灯籠には朱が入った「奉納・諏訪宮」と「信陽・一之宮」が彫られています。私が知る限り「信陽」とある灯籠は春宮周辺に限られますから、ネットで調べてみました。結果は、中国の信陽やそれに因んだ名産または事業所名の列記のみです。
 検索ワードを替えると、『レファレンス共同データベース』〔レファレンス事例詳細〕に、「【二】『語素』 旧国名のはじめの一字の後に美称として付けて用いる。「薩陽」「肥陽」「尾陽」など」がありました。これで、長野→信州→信陽と納得しました。生まれも育ちも現住所も長野県ですが、これは知らなかった…。
 補足ですが、灯籠は交通事情で現在位置に移転したとあります。原位置は不明ですが、道路を拡幅した際に、その分だけ移動したように思えます。

大灯籠の詳細

春宮大灯籠
諏訪大社下社遷座祭の一コマ('07.8.1)

 後に調べた、書名を控えるのを忘れてしまった本には「高さ4.5m、台石は4.5m四方で、形式から山田金右衛門一派、高遠石工の系統のものとみられ、技巧のすぐれた作である。発起人は上ノ諏訪および大阪の人。(中略) 総工費五十両を要した」「同じ形式でやや小型のものが春宮鳥居の前に二基立っている。(略) これも山田金右衛門一派の作と認められ…」とありました。金右衛門一派とありますから、「長男が…」という記述も間違いではないようです。また、鳥居前の燈籠にも「信陽」の彫りがあるのもうなずけました。
 さらに、日付はありませんが古い写真が載っていました。それには例の「獅子飾り」がありません。古くから据え付けられたものにわざわざ挟み込むことはあり得ないので、解体引っ越し時に新たに付け加えられたのでしょうか。

 『下諏訪町・石造文化財(その二)』に、「火袋の下に、横川産のきなこ石で作った獅子頭が四隅に付けてあったが、いつの間にかなくなった。今は新しく作ったものが付けられている」ことを見つけました。また、「江戸時代は諏訪湖が近くで、灯台の役目を果たした」ともありました。