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二の祭・献詠祭 4月16日

 諏訪大社祭事表に「二の祭と献詠祭」があります。御頭祭の前日が「夕祭」なので、三日間に渡る御頭祭の最後を締めくくる例祭でしょうか。

二の祭 平成19年になって初めて見学しました。10時に始まった神事の式次第では、「さい」ではなく「にのまつり」と聞こえました。終わってみれば、献饌・祝詞奏上・玉串奉奠と続く通常の神事でした。

献詠祭 続いて、宮司が奉書を手にして何かを読み始めました。余りの長さに祝詞とは違うことに気がつき、「詠」から「和歌を献上する献詠祭」とわかりました。何しろ、巫女舞が目当てだったので予備知識は全くありませんでした。

献詠祭 和歌は、宮司以下神職が与えられた「お題」で作り、宮司が“代詠”して神前に奉納します。この距離では音としては聞こえますが、内容まではわかりません。私は、右端で控えている神舞姫(以下巫女さん)が気になっているので、詠み終えるのが長く感じました。

献詠祭 和歌は塀重門左の塀に張り出されていますから、誰がどんな歌を詠んだのか一目瞭然です。神職と言えど、締切まで悩み苦しんでいる姿顔が浮かびます。頭書に「例大祭」と書いてありますから、例大祭に組み込まれた献詠祭ということでしょう。

浦安の舞浦安の舞 片拝殿に控えていた巫女さんが、「しずしず」とはこのことを言うのでしょう。足のしびれを心配する私をよそに幣拝殿に向かいます。
 奉納したのは「浦安の舞」でした。当然ながら、“よく見る舞”と違い「本装束」着用です。正式には4人で舞うそうですが、狭い幣拝殿なので、諏訪大社独自の一人舞なのでしょうか(平成22年は二人でした)

浦安の舞 参列者や参拝者に見せるのではなく、あくまで神前に奉納する舞なのでしょう。あまりこちらを向きませんから、シャッターチャンスが限られました。
 ところで、話は全く変わりますが、(賽銭箱がある)拝門の正面に立つと御鏡に自分の顔が写ります。鏡は幣拝殿のさらに高い位置に置かれていますから、参拝者の顔を「照らす」角度に調整していると思われます。神様は「(たった)5円の賽銭を見ています」というのは冗談ですが、私は見張られて(見守られて)いるようで身が引き締まります。

「四月十六日 二之祭也」

 諏訪教育会『復刻 諏訪史料叢書』に、「明治30年代の宮司在職中に諏訪神社の祭礼をまとめた」とある、第三代諏訪神社宮司・岩本尚賢稿『上社年内祭祀ノ大畧(略)』があります。ここに「二之祭」が載っていたので紹介します。現在行われている二の祭(献詠祭)は、明治以降から始まったことがわかります。

(旧)くは十間廊にて神事饗膳ありしか、維新の後は本社に於いて神事あり、和歌の題を設け献詠の式あり、一社官人を初め郡中有志の人々遠近国の人より奉る一首を神前に捧げて披講ありて祭典畢(終)りぬ、献詠の懐紙は年々宝庫に納む

 ここに「古くは前宮(十間廊)で神事があった」とあるので、江戸時代の文献を調べてみました。興味のある方は、以下のリンクで御覧ください。