諏訪大社本宮では、「煤払神事」に続いて「石送(いしおくり)神事」が行われます。
「石送神事」をネットで検索すると、諏訪大社以外では一件もヒットしません。そのことから、「石を送る」のは諏訪大社独自の神事と思われます。宮坂光昭著『諏訪大社の御柱と年中行事』では「明治初期の文献から出てくる。古典にはないことから、伊勢神宮関係の新しい神事ともみられる」と解説しています。
「明治初期の文献」は、第三代宮司・岩本尚賢稿『(仮題)諏訪上社祭祀の大略』でした。
幣拝殿に向かって右側に「伊勢神宮遙拝所」があります。「遙拝所とは、遙かに(望み)拝む所」ですから、瑞垣で結界のように囲っている形は不自然です。因みに、「諏訪大社下社の遙拝所」には入口があります。みだりに入ることはできませんが、中に立砂があるのが見えます。
神事の説明が後になりましたが、その遙拝所に写真の石を「投げ込む」のが「石送神事」です。新聞では「今年一年の災いを石に託して流し、明るい新年の到来を願う」と報じていますから、遙拝所は、伊勢神宮に「厄」を送り届ける中継所で、伊勢神宮が「厄の最終処分場」ということになります。
明治になって伊勢神宮を本宗とする国策を受け入れた時に、「一年の間やむを得ず受け入れて(押しつけられて)きた諸々を、諏訪神社の独自性を守るために送り返す神事を作った」とは考え過ぎでしょうか。
一列に並んだ6人の神職が、1月から12月までを墨書した小石12個を、「一月」「二月」と復唱しながらリレー形式で渡して行きます。
左は、権宮司が、しんがりの宮司に「十二月」を渡し終えた瞬間の写真です。
これも、宮司が伊勢神宮遥拝所に投げ入れた瞬間の写真です。
奇跡とも言える「二枚のスーパーショット」を紹介できたのは、諏訪明神が私に乗り移ったわけではありません。
実は「石送神事はビデオ」と決めて、写真は一枚も撮りませんでした。その結果は、とても公開できるような出来ではなかったのでお蔵(HD)入りとなってしまいました。「写真がないのも寂しい」と常々思っていたので、11月に入ってからビデオを静止画にしてみました。種を明かせば、フレーム毎にチェックして「神業ショット」に仕立て上げた「ビデオ写真」でした。
神事のすべてをハイビジョンで撮り直しました。三脚使用なのでバッチリでしたが、指が凍えてズーム操作がラフになってしまいました。