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現代語訳「すわの海」(菅江真澄が見聞きした御頭祭)

 『菅江真澄信濃の旅』(信濃古典読み物叢書6)から、〔すわの海〕の一部を転載しました。

■ (社)信濃教育会出版部 〔'09.5.14 転載許可済〕
 私はここから十六町(約1.7Km)ほど東へ歩いていった。前宮という所に、十間間口の直会殿がある。そこにはなんと鹿の頭が七十五、真名板の上に並べられていた。その中に、耳の裂けた鹿がある。この鹿は神様が矛で獲ったものだという。
 上下(裃)にいずまいを正した男が二人、動物の肉を真名板にのせて持って登場する。その足どりやいでたちなど古いしきたりがあるのだろう。弓、矢を持ち鎧を着、剣は根曲がりといって、つかの下で曲がったものをさしている。
 直会殿の南の隅には、白鷺・白兎・雉子(きじ)・山鳥・鯉・鰤(ぶり)・鮒などの肉、三方に入っているのは米三十桝だ。また菱餅・えび・あらめを串に差したものも目につく。こうして、神に供える大きな魚・小さな魚・大きな獣・鳥の類などいろいろなものがことごとく奉られ、数多くの器に組み合せて供えてあるといえる。
 一の神主は、事情があってこの祭りに姿を見せなかった。一の神主の山鳩色(黄緑色)の御装束は、箱に入れ、敷皮の上に据えられ、その前にも酒や肴の用意がしてある。
 次の席の長殿(おさどの)、さらにその下の座には、大勢の神官が皆敷皮の上に並んで、この供え物を下ろして食べる。神官はお互いに銚子でお神酒をついで回っている。肴は何度も何度もお代わりをしていた。小さな折櫃に、餅・かや・山芋などを入れて、それぞれ一人一人の前に並べられている。
 そのうち、長殿が敷皮から立ち上がり、一本の木の下へ行く。弓矢を持っているので、何かを射ようとするのかどうか、多くの人垣の中のことで全く見えなかった。
 やがて篠の束の縄をほどき、篠をばらばらにしてその上に敷き、花を供える。長殿はそのままじっとしている。そのとき長さは五尺(約1.5m)余り、幅は五寸(約15cm)ほどで、先のとがった柱を押し立てる。これを御杖とも、御贄柱ともいうが、どうであろうか。
 長殿は、座っている場所から下りて、柱をよく見て調べ、この木は節があってよくないといって、受け入れようとしない。御神おこうといって、八歳ぐらいの子どもが、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵の上に押し上げて置いた。
 長殿からは、四人めの下位の神官であろうか。山吹色の袂の神官が、木棉襷(ゆうたすき)をかけて待つ。そこへ上下を着た男が、藤刀というものを、小さな錦の袋から取り出し、抜き放って長殿に渡す。長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。また、長い縄を渡す。
 木棉襷をした例の神官が、刀を柱のてっぺんに当て、刻みつけ、さわらの枝、柳の枝、象(きさ)の小枝などを、例の縄で結いつける。さらに矢も一本結びつける。また、三の枝も結ぶ。これにも矢を一本結びつける。そして、もう一本の柱も刀で同じように刻みつけ、二か所を結ぶ。
 こうして左右二本の柱を飾り立て、縄が残ると、藤刀できっちり切り放す。また柏の枯葉に糀を一盛って、折箸で縫い通し、二つとも糀でくっつけて柱にかける。そして四つもこの御柱にさす。その後神官たちが家の中ほどに立ち、祝詞を読み上げる頃には、御神楽の声が聞こえ出す。そして拍手を打つ音が三つ聞こえて後、神楽が止んだ。
 例の神の子どもたちを、桑の木の皮をより合わせた縄でしばり上げる。その縄でしばるとき、人々はただ「まず。まず」と声をかける。ともし火をともす。再び祝詞を読み上げた後、大紋を着た男が、子どもを追いかけて神前へ出てくる。
 一方、長殿は、藤づるが茂っている木の下に行き、家を造った時、屋根に差した小さな刃物を、八本投げられた。
 いよいよ祭りは最高潮となる。諏訪の国の司から使者の乗った馬が登場する。その馬の頭をめがけて人々は物を投げかける。しかし、この馬はとても早く走る。その馬を今度は子どもたちが大勢で追いかける。
 その後ろから、例の御贄柱を肩にかついだ神官が、「御宝だ、御宝だ」と言いながら、長い鈴のようなものを五個、錦の袋に入れて、木の枝にかけ、そろりそろりと走り出し、神の前庭を大きく七回回って姿を消す。
 そして、長殿の前庭で、先に桑の木の皮でしばられていた子どもたちが解き放され、祭りは終わった。
 一の神主(御祝の司)は、この神様の子孫で、この国の司も同様であり、長殿も守屋の大殿の子孫であるという。
 祭りの帰り途、普賢堂の桜を見返り見返りしていく。もう時刻は夕暮れ、六時過ぎである。諏訪神社を拝んで帰りを急いだ。