長野県と新潟県境にある白池から 戸土にかけての空中写真に、『地理院地図Vector』の機能を使って道路と県境[]を重ねてみました。
何と、戸土と蛙池の間には「県境がない…」
信濃史料刊行会『新編信濃史料叢書』に、1724年に編纂された『信府統記』が収録してあります。〔信濃国郡境記巻四〕から[安曇郡の隣国並郡境]を転載しました。
一部重複していますが、同じく〔大町与〕です。
「信濃木」は「信濃の木・シナノキ」のどちらなのかは読み取れませんが、神木・信濃木に薙鎌を打ち込み信濃・越後の国境としたことが書いてあります。その重要な“根拠”となる薙鎌打ち神事は、諏訪神社下社が行ったことがわかります。
「明治44年測図」とある、大日本帝国陸地測量部作成の五万分の一地形図『小滝』の一部です。県境の[]が、中央部では“断片化して乱れている”ように見えます。
国土地理院『地理院地図(電子国土Web)』から、白池附近を切り取りました。現在の地図では、蛙池と戸土(境ノ宮)間の県境[]は空白になっています。
道を間違えて戸土(とど)へ戻る途中、「白池」の道標を見つけました。湿った登山道の高低を何度か繰り返すと、秋色の木々の隙間からチラッと姿を現したのは、白池ならぬ青い池でした。その大きさが視野からはみ出すと、岸辺の遊歩道脇を陣取り昼食を広げている大家族の楽しげな姿が…。その前をどんな顔をして通り過ぎるのか悩みました。結局、池を左に眺めながら視線を合わせない方法をとりました。自意識過剰もありますが、ブナの森を一人で歩き続けて来た自分には相容れない世界でした。
道標「白池」の終着地はちょっとした公園になっており、ログハウス風の建物は、塩の道を紹介したレストハウスやトイレでした。近くに駐車場があるのかエンジン音も聞こえ、一気に現実に戻った気分でした。
湖畔には、画機材からはプロかアマチュアか区別のつかない画家とカメラマンが白池と向き合っています。お互いに干渉しない程良い位置でそれぞれに没頭する姿に、私と何か通い合うものを感じました。
かつて薙鎌を打ち込む神木があった地には、「復興の記」から平成9年再建とわかった石祠がありました。しかし、諏訪からはるばる来た旅人の欲目でしょうか。「これでは何もない方が」と思えるほど新祠はこの地に馴染んでいません。その腰高から、豪雪対策と思われる打ちっ放しのコンクリート台座も気になります。また、「祠の石も暗色の方が」と、その建立に一銭も拠出していないのに注文をつけてしまいました。古色が出るまで気長に待て、ということでしょう。
紅葉には最後の日とムチ打った結果、思わぬ白池畔に立つことができました。
微風という好条件とあって、白池の名とは異なる青緑の水面に映える錦繍をしばし楽しむと、ここに来るまでに消耗していた体力と気力ですが、気力だけは回復しました。
諏訪大社の長野県側と、越後国一之宮・居田神社が鎮座する新潟県側の温度差でしょうか。カメラマンに次の目的地「境ノ宮」の所在を尋ねると首を振り、一族郎党を引き連れたかのような長老格の年寄りに訊いても「知らない」という現実がありました。
提示した「諏訪大社」や「薙鎌」のキーワードにも、言い訳のような(ここはまだ新潟県ですが)「新潟から来たので」と答え、まったく反応しません。隣県には「諏訪大社縁の地」という意識はまったく無いようです。結局、今来た道を引き返すことになりました。