今回から、熊本県天草諸島の諏訪神社巡拝シリーズになります。8年前に参拝した下津浦諏訪神社と本渡諏訪神社も併読してくださると幸いです。
昨夜は、一人旅とあって夜長を持て余し、スマホを手にしてベッドに寝転びました。「世界中で最もよく見られるのがその姿」と決めつけている私は、ようやくその仲間に入ったと苦笑いしながらGoogleマップを立ち上げました。
スマホは自動的に現在位置を表示するので、ホテルの近くに神社がないかとスクロールすると「中村諏訪神社」が現れました。断っておきますが、自宅でのスマホは(充電するのが面倒なので)シャットダウンさせ、何日も眠ったままにさせています。
神社周辺は道幅が狭いと判断し、国道脇にある店舗の駐車場に乗り入れました。開店前を確認してから、スマホを水先案内人にして集落の中を進みます。
ここは天草諸島の一つ「大矢野島」ということになっていますが、もちろんその実感はありません。霜こそ降りていませんが、陽が当たる前の家々や畑に寒さを感じます。
見上げた額束(がくつか)に、「中村諏訪神社」が読めました。一般には「諏訪神社」だけなので、書き始めに恒例の命名式を行うのですが、一手間省けました。鳥居の柱には長い竹が結わえられ、注連縄が渡されています。この後に巡拝した神社でも見られましたから、熊本もしくは天草地方の伝統的な飾りと理解しました。
拝殿横にある案内板を読み進めると、由緒ではなく「史跡」でした。
すぐに「天草・島原の乱」を連想しましたが、時代が違うのに気が付き、あくまで「天草の世直し一揆」と読み直しました。しかし、それがどういうものなのか、まったく知らない私でした。
日陰なのでわかりづらいのですが、拝殿前の左右にはソテツがありました。氏子にとっては地(じ)のものを植えただけということでしょうが、九州でも特に「天草」に対して南国を重ねてしまう私は、「天草の諏訪神社」として特別な思いを抱いてしまいます。
本殿は、久しぶりに見たと思ってしまった流造(ながれづくり)でした。改めてこの形を眺め、「ここは、もう鹿児島ではないんだ」との想いを強くしました。
本殿の裏というか境内の後方に境内社が並んでいますが、何れの鳥居にも竹が結わえられていました。
一対の仁王像が、草むらで“寝ている”のを見つけました。これが案内板にある「金剛力士像四体」の内の二体でした。人間と同じ形なので、手足を失ったその痛々しさが伝わってきます。前後しましたが、冒頭の写真に[↑]を入れたのが現役の二体です。
文化財に指定されていないようですが、案内板に「彫刻は華麗精緻をきわめ」とあるので、向拝柱の阿吽(あうん)の竜頭を紹介しました。
次は、今日の予定コースに入っている大島子の諏訪神社です。市内には「天草四郎」関連の文字が目に付きますが、振り切って二つ目の天草五橋に向かいました。