二番目に大きな島−天草上島の海沿いにある神社です。8年前に下津浦の諏訪神社を参拝しましたが、直近にもこの諏訪神社があるとは知りませんでした。
今回は直前にその存在を知ったので、情報収集がおろそかになりました。Googleマップで探せばいいと高をくくっていたのですが、いざ開いてみると、拡大しても表示しません。とにかく「島子」の中心街まで行ってみようということになりました。
通り過ぎてから、「今のは案内板?」と気が付きました。そういえば鳥居も…。引き返すと鳥居が見え、その手前に駐車場もありました。国道沿いにあったのが幸いしました。
道路に面して、有明町・有明町観光協会・島子地域づくり推進協議会連名の案内板があります。読むと、…《史跡》の説明でした。
ここが初戦の地と知り思わず周囲を見回しましたが、当然ながら、諏訪神社の境内を見渡しただけとなりました。
神社の正面を離れた位置から撮るために国道を横切ると、「海老の宮川冷蔵庫」と書かれた倉庫の横に鳥居があり、その向こうに海が見えました。その鳥居から神社の正面を一枚撮り、初期の目的を達しました。
やはり、海に面した鳥居も外せません。その時は意識しなかったのですが、シルエットになった鳥居の一部に陽が当たっている自賛の写真が撮れていました(電線が目障りですが)。
その先は崖状の斜面ですが、下りる道があります。しかし、海老養殖場の敷地内と思えますから、対岸は長崎の島原だろうかと眺めるだけにしました。
鳥居の柱を片側だけ入れた写真です。説明しないとわかりませんが、左右に針金が二本・上から木札・下に杭があるのがわかるかと思います(上写真参照)。
これらは、鳥居の直近に立って気が付いたのですが、その木札に「御告」として、
とあります。鳥居の説明は付け足しそのものですが、「頭上に注意して御覧ください。大島子諏訪神社」で締めくくっているので、早い話が「危険。くぐるな」と理解しました。見た目以上に老巧化が進んでいるのでしょう。
結果として、一之鳥居−二之鳥居の順で境内に“乗り込み”ました。
黒御影石の『大島子諏訪神社御神殿建立記念碑』があります。末尾に「平成25年」とあるので、この年に「御神殿」が一新されたことがわかります。ここに由緒書がありました。
この碑文を写真から文字に起こしてから、「安永2年の鳥居は、由緒のどの位置に入るのか」と読み直すと、「安永7年に神殿の創建」とあります。それまでは社殿がなかったことになりますから、それは(まず)あり得ないとして「再建」と読み替えました。
本殿より、石垣にある注連縄が掛かった何かに注目しました。近づくと石祠です。
左右に計四棟となりますが、後方にはないので、本殿の守護神に当てはめることはできません。境内社が見当たらないのでここに祀ったとも思えますが、尋ねる人もいないので、ここで不思議なものを見たとして、大島子諏訪神社の参拝を終えました。
最後も鳥居の写真になりました。海無し県に住む私は、海と鳥居の景観には無条件で感動してしまいす。