地元紙『長野日報』で、伊那市を取り上げたページがありました。特集というより、来たるべき「お花見」に備えての観光案内ですが、いつもの習いで「神社」だけを探しました。
坂下神社があります。何の変哲もない「坂下」の名称から目を離そうとしましたが、それでも、と読み進めると「磯波大明神」の文字が…。「磯波」は、諏訪大社上社の摂社「磯並(いそならべ)大明神」に繋がります。
ネットで調べると、いずれも『伊那市神社誌』を引用していますが、当然ながら「磯並社」との関係は書いていません。長野市松代町の「玉依比売命神社の旧名が「磯並三社大明神」ですから、長野県では、私の知る限りでは三例目となります。私は「花より神社」ですから、坂下神社を参拝し、図書館で『伊那市神社誌』に目を通す春一番の計画を立てました。
ナビが指示した狭い道に躊躇した結果、通り過ぎてしまいました。戻るのも面倒なので、そのまま進み、一廻りして坂下公会堂から参道脇にある駐車場に乗り入れました。この道中で、坂下神社が、伊那小学校や常円寺の前(南東側)から切れ落ちた段丘崖(だんきゅうがい)の直下に鎮座していることを知りました。
一之鳥居前に立つと、社殿が“坂上”の突き当たりに造営されていることがわかります。冒頭で「変哲もない」と書きましたが、「坂下」は至って意味のある名称であることがわかってきました。
境内にある『坂下神社由緒略記』から抜粋しました。
三、祭神
建御名方命(大国主命御子)
玉依姫命(神武天皇御母)
四、由緒
旧社名は磯波社・御社宮司社合殿と謂い、伊那地方有数の古社なり。創建時代は不詳なるも、地名社名等より推して相当古き時代に属せり。
即ち鎮座地の東方一帯はその昔天竜川原にして部落名を御舞瀬と称し、現在入舟・旭町の辺は字(あざ)を御舞瀬川原と呼び、瀬・川原・磯波等水に囚める称呼より考証して、古昔(は)現在(の)主要市街の犬半が天竜川流域たりし時代に、高田ヶ丘々陵に沿える部落住民に依って御迎え申上げたるものなり。(中略)
明治四十年九月十四日社号を坂下神社と改称さる。
「御舞瀬(みませ)」という怪しい地名ですが、地形に造詣のある方なら「みませ・ませ」にピンとくるかもしれません。しかし、私は途方に暮れるだけです。
拝殿の格子には、上伊那ではお約束の「お宮参りの扇子」が結わえられていました。次に屋根へ目を移すと、唐破風の鬼板は「立ち梶の葉」で、大棟には「三つ巴」が加わっています。諏訪の常識では両社とも神紋は梶で差し支えないと思いますが、ここでは御社宮司社(建御名方命)が梶紋で、磯波社(玉依姫命祭神)が巴紋ということでしょう。
本殿は背後の石垣上に、まるで腰掛けたように“置かれて”います。中央が渡殿ですが、連絡する石段がないので、本殿御扉の開閉は梯子を掛けて行うしかありません。ここの氏子ではありませんが心配してしまいました。
ここまでに幾つか「気が付いたこと」を挙げてきました。それらが、坂下神社の創建由来を表しているように思えますが、立ち寄り参拝者ではうまく繋げることができません。因みに、後の調べでは、神明造の社殿は本殿の覆屋でした。
初めての伊那市図書館では勝手がわかりませんが、受付で郷土史関係は二階とわかりました。改めて二階の職員に「伊那市の神社関係」の書架に案内してもらいました。目的の『伊那市神社誌』はありましたが、同じ書架に『坂下区誌』を見つけました。目次を開くと坂下神社が載っており、二冊の史料を手にすることができました。
伊那市文化財審議委員会編『伊那市神社誌』には増補改訂版がありましたが、情報量の多い旧版を選びました。ところが、「縁起及び口碑伝説」には(坂下神社由緒略記に拠る)と但し書きがあるので、案内板以上の情報は得られません。御神体「幣束・前立鏡」の五文字のみを転載しました。
代わりに、坂下区誌編集特別委員会『坂下区誌』から〔坂下神社〕の「由緒と変革」の一部を紹介します。
編集委員のメンバーに、「諏訪の神社」に造詣がある人がいたようです。
『伊那市神社誌』と『坂下区誌』は「磯波」が“標準の表記”ですが、『坂下区誌』の図録にある棟札の◯内が(立が二つの)「竝」であることに気が付きました。竝は「なみ・なら-べ」で「並」の異体字です。これで、文政の頃は「磯竝」の書き方があったことがわかります。もちろん、諏訪大社上社の十三所「磯並社」に通じますから、筆字を忠実に活字化したことに感謝しました。一方で、(これは私の思惑ですが)「筆字の並を竝と書き下した」ことも考えられますから、ここは棟札の写真を載せて欲しかった、と区外から言っても…。
『坂下区誌』では、地名や字(あざな)から「坂下」の地名と周辺の地形を検証しています。しかし、具体的な名前を挙げていても、余所者ではサッパリわかりません。
「伊那の磯波から諏訪の磯並がわかる(かも)」と勇んだのですが、結局は、「竝」の一文字を頂いただけに終わりました。