「地域によって様々な名称があるのがミシャグジです」と書き始めました。しかし、すぐに、これ以上ミシャグジについて書き進めるのは無謀と気づきました。
松本市であっても旧市街ではないので、大字(おおあざ)が付くのでしょうか。その大字大村にある大宮神社を参拝した後、「大宮神社から南方に2〜300m行ったところ」という情報だけを頼りに、社宮司神社へ向かいました。
結果として往復半となる三筋の道を歩き、大村公民館の東脇から続く水路のある道で、ブロック塀の上に小さな「社宮司神社」の案内板を見つけました。小路を入ると直ぐに鎮守の杜が見え、鳥居額に「社宮司大明神」とある神社の前に立ちました。
右に社務所兼用と思われる「大村南公民館」を見て拝殿前へ進みます。
賽銭投入口から内部を窺いますが、格子戸にビニールが貼ってあり本殿正面の拝観ができません。拝殿の側面に廻ると、こちらも黄色く塗られた漆喰壁が囲み、本殿の上部しか見えません。塀際から背伸びし、カメラを精一杯頭上に延ばして撮れたのがこの写真です。
拝殿は萱葺きですが、箱棟の大棟は瓦で葺いてあります。「これは珍しい」と注視したら、両端には鯱が設置してありました。
厚い萱を支える軒裏の造りが気になります。改めて賽銭投入口から天井裏を仰ぐと、釘やカスガイは使われていません。この造りを永久に受け継いでもらいたいのですが、萱の確保や現在の技術では難しいかもしれません。
その拝殿の左右に千羽鶴が掛けられ、「社宮司神社」と焼き印があるシャモジが一枚置かれています。
「杓文字(しゃもじ)信仰に、似た名称のシャグジ(社宮司)が習合した」という説があるそうですが、諏訪一円には一切ありません。それが、松本の地で初めて見ることができましたから、一種の感動を覚えました。半ば諦めながらも、執念深く探した甲斐がありました。
現地では、通常の奉納品なのか、これを持ち帰り大願成就した後に新しいシャモジを奉納するシステムなのかは、わからず終いでした。自宅に帰っての話ですが、ネットで画像検索したら、例祭日の写真が見つかりました。写真の麻紐で押さえられたシャモジがたくさん並んでいますから、御札代わりに授与されている可能性があります。
自宅で、同じ大村にある大宮神社との位置関係を確認しようとGoogleマップを開きました。ところが、…「松宮前大明神社」と表示しています。自分の目で「社宮司大明神」を読み、写真にも同じ文字が写っていますから、これはどうしたものかと各社の地図を比較してみました。
ところが、すべて「松宮前大明神社」でした。それではと、国土地理院の公式地図で確認すると、「」の凡例だけです。
こうなると、このまま引き下がるわけにはいきません。ネットで検索すると、「松宮前」と「社宮司」が混在しています。長野県神社庁のサイトで確認を取ると、「社宮司神社 松本市大字大村朱引中221」でした。
思うに、地図で神社名を確定した人が「松宮前大明神」で、現地に足を運んだ人が「社宮司神社」と書いたということでしょう。ネット地図の大元は「ゼンリン」ですから、調査員が「社宮司」を「松宮前」と誤報告した可能性があります。
次に「社宮司神社 松宮前大明神」と並記したものを検索にかけると、『PDF 松本市道路認定路線網図』が表示しました。「国際航業株式会社調製」とあるので、航空写真を基に作られた地図とわかります。
左にその一部を転載し、社宮司神社の本殿に
を加えました。現地を思い起こすと、定規の目盛状の線が田の畦ですから、「田圃の中に松宮前大明神がある」ことになります。
これは、かつてこの場所に松宮前大明神があったということなのでしょうか。案内板には「元禄では田中神社」とあるので、現在の景観からは「その通り」とも言えそうですが、平成と元禄を一緒にはできません。
松宮前大明神の痕跡が何かしら残っている可能性があるので、国土交通省『国土画像情報』で同位置の航空写真を参照しました。これに写っている「立木」を見て、「その下に祠がある」と睨みました。しかし、現地まで確認しに行く元気はありません。
そこで、Googleマップの「ストリートビュー」で走ってみると、…完璧に表示しました。しかし、拡大したら、「ただの畑の隅にある木」でした。
令和二年現在、Googleマップは修正されています。