郷土誌二書から、「御射山社」に関係する部分を抜粋しました。
それぞれが、「上の城」と「上溝」を冠した御射山社を書いています。しかし、共通する「島田・伊賀良・猪鹿頭・長徳(元号)」から上の城=上溝で、二つの呼称があると考えました。
その御射山社を参拝しようとする者にとっては悩める相違ですが、『松尾村誌』に載る添付写真には送電線の鉄塔が写っています。これがヒントになり、以前よりその鎮座地に関わるキーワードとして注目していた「御射山獅子塚古墳」の北辺に同じ鉄塔を見つけることができました。同書の折込地図にある無名のとも一致するので、目的とする御射山社と考えました。
JR飯田線「伊那八幡」駅がありますから、余所者ながら飯田市で一番大きな神社と推定できます。その鳩ケ嶺八幡宮を参拝してから御射山獅子塚古墳へ向かいます。
バイパス「アップルロード」の歩道から、「全長58m、未発掘の前方後円墳」という御射山獅子塚古墳を撮りました。墓地が写りますが、全景を収めるにはこの高台しかありません。
事前のシミュレーション通り古墳の脇を通って御射山社への分岐に立ちますが、その奥は民家の庭先のように見え、近づくことさえできません。断念して直進しますが離れるばかりとあって、いったん戻り、地図でわかった県営住宅側から回り込んでみました。
しかし、その入口から続くフェンスが境内への立入を阻んでいます。ところが、何と、人一人が潜り込める分だけ切り取られています。
「これは器物破損ではないか、一体誰が」と思っても、私にとっては唯一の参道入口です。目撃者がいないことを確認してから、素早く境内に降り立ちました。写真では、後方のフェンスがそれです。
祠を一瞥してから、「まずは正式参道を」と鳥居へ向かいます。隣家の敷地に背を向け、のけぞるようにするとその全景が入りました。
改めて本殿の前に立ち、ここまで来られたことを報告しながら拝礼をしました。しかし、文字としての「御射山社」が確認できません。
鳥居前の民家に声をかけると、当主の奥方と思われる年配女性が応対してくれ、御射山社と確定できました。次に、古墳の近くに久井天神社があったので、「ここは久井ですか」と問えば、「御射山社は上溝で、家が建っているのは久井」と返ってきました。また、「初めに家を建てた人が“ここは久井”と言ったので、今も久井と呼んでいる」との話から、行政区画が複雑になっていることが想像できました。
御射山社を探索する中で見つけた御社宮司社へ向かいます。道中では地図に表示する古墳も見学することにしました。
行政区画「上溝」を調べ、その境界を空中写真に重ねてみました。
この特異な字(あざ)界の形から、御射山社の社地に何かの曰(い)わくがあるように思えます。これで、“久井宣言”は別として、御射山社の社地が間違いなく上溝であることが確認できました。
冒頭の『松尾村誌』では「島田村の諏訪社は早くなくなって」と書いています。本社諏訪神社は廃絶しても、今日まで御射山社が存在したことが不思議ですが、それについては、以下のリンクで御覧ください。