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逸見神社 山梨県北杜市大泉町 谷戸

■ 現在の大泉町は、大泉村→巨摩郡大泉町→北杜市大泉町の変遷があります。

逸見神社参拝 '22.5.19

逸見神社

逸見神社・八幡神社 右端の社号標は「郷社 逸見(へみ)神社」です。さらに鳥居も玉垣も「逸見神社」ですが、左に部分拡大した二ノ鳥居は「八幡神社」を掲げています。前知識(後述)があったので違和感はありませんが、初めての人は戸惑うかも知れません。
 この参道を進むと、随身門が現れます。

神像

 随身門は(いつもは)建造物として載せますが、今回は神像を並べてみました。この門をくぐれば境内の中枢部です。

逸見神社「神楽殿」

神楽殿の鬼板 左方に建つ神楽殿は「唐破風をあしらった屋根に四方に千鳥破風を組み合わせた四棟造り」と自己流に解説してみましたが、「写真の通り」とした方が間違いがありません。
 各棟の鬼板には、「神・社」が一文字ずつデザインされています。この写真の大棟「神」が正面中央なので、右回りに「神・社・神(背後)・社(左側)」となる配列が予想されますが、確認するのを忘れました。

逸見神社「拝殿」

立穀の葉 神楽殿と渡り廊下で結ばれた、郷社に相応しい大きな拝殿です。案内板には「祭神 建御名方命」とありますが、大棟に掲げた神紋「立梶(たちかじ)の葉」を仰いで(左写真)、まさしく「諏訪」神社であることを実感しました。
 『甲斐国志』では「諏訪明神」で「社記曰く逸見神社と云う」と書いているのは、逸見氏と地元の人々の結びつきが強かったことの表れでしょうか。

逸見神社に八幡神社を合祀

逸見神社・八幡神社 本殿は二棟が並んでいますが、正面に向かって左側が「立穀の葉」ですから逸見神社とわかります。その流れでは右が八幡神社となりますが、「左三つ巴」ではなく「右二つ巴」を掲げています。神紋ではなく造営者の家紋ということでしょうか。
 その八幡神社ですが、事前に調べた『大泉村誌』など、すべての史・資料が「八幡神社」を無視しています。これは、境内最奥にあった「この碑は谷戸組氏子の拠出による事業を集め後世に伝える」とある『護社記録の碑』を読んで納得しました。

平成十一年度 八幡神社鳥居・狛犬・灯籠移転工事事業
平成十二年度 逸見神社本殿移築 幣殿新築 拝殿改修

八幡神社本殿新築工事事業

 関係する部分のみの抜粋ですが、平成12年に、逸見神社を左側に移築(ずら)し、空いたスペースに八幡神社を新築したと書いています。つまり、『大泉村誌』は平成元年の刊行なので、八幡神社については一言も触れていないのは当然のことでした。

 境内に石製の由緒書きがありますが、ここでは『甲斐国志』を『国立国会図書館デジタルコレクション』から拾い出しました。

一 〔諏方明神〕 谷戸村 黒印神領二石七斗五合 (中略)
社記曰く逸見神社と云う、逸見(へみ)氏世々崇奉の祠なり、往昔は古城山の南に在り、神主宅地も其の側に在り、森屋敷或は森越と云、後に今の地に移す、亦(又)年久しき事と見えて樹木皆四、五抱なるべし、天正二年八ヶ岳崩壊し水漲(みなぎ)り祠中に藏(きす)むる逸見氏武田氏の願書寄進の物等一時に流失す、其の時流閣せる巨石祠西の宮川に数多(あまた)あり、今も時々山崩ありと云、
○〔八幡宮 同村 茶臼山(古城山)城址に在り、源太清光を配祀す、

〔神社部第十一 巨摩群逸見筋

 これに載る〔八幡宮〕が「八幡神社」で、茶臼山城(古城山城)址から逸見神社へ移転したことがわかります。因みに、茶臼山城・古城山城は谷戸城と言った方がわかりやすいかもしれません。

逸見神社本殿

逸見神社本殿 瑞垣(塀)で囲われて本殿の全容が見えないので、下部の隙間から撮ってみました。逸見神社の建築年代は不明ですが、奥の八幡神社がまだ真新しいのがよくわかります。
 この写真では判別できませんが、脇障子の上部に鬼面が懸けられています。

鬼面 大棟の鬼板に鬼面があるのはよく見かけますが、この場所にあるのを初めて見ました。
 現地では不明でしたが、拡大した写真では「阿・吽」が逆になっています。珍しいので紹介しましたが、仁王や狛犬と違い、鬼面にはそのような形式的なものはないのかもしれません。

逸見神社と古城山(谷戸城址)

 逸見神社「往昔は古城山の南に在り」・八幡神社「茶臼山(古城山)城址に在り」から、その位置関係を衛星写真に表示させてみました。