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毛賀諏訪神社 飯田市毛賀 1.5.11

 「毛賀御射山社」は、分離して別ページとしました。

毛賀諏訪神社参拝

 「御射山神社があるからには、近くに諏訪神社があるはず」と探せば、同じ毛賀に諏訪神社がありました。この神社の摂社が御射山神社ですから、素通りはできません。いつものように紆余曲折がありましたが、駐車場に予定していた「毛賀区公民館」の標識に従うと諏訪神社の側方に出ました。公民館は、わかってしまえば「なーんだ」と言う、神社と相向かう立地でした。

毛賀諏訪神社 「鳥居は」と探せば、公民館の横に見えます。近づけば、その鳥居から下る石段が表参道でした。
 急傾斜地の標柱がある石段を何段か降りて撮ったのが、拝殿と、何とかファインダー内に収めることができた鳥居です。

毛賀諏訪神社本殿 その鳥居をくぐり直して進むと、多くの灯籠が並び、社号標と狛犬が迎えてくれた諏訪神社になりました。
 拝殿の背後に向かうと、段差のある渡殿が連結しています。そのため、離れた位置となる本殿が珍しいものとなって映りました。

毛賀諏訪神社本殿 その本殿ですが、ご覧のように、新築を古色が乗ったように見える加工法を施したものと見ていました。

 ところが、脇にある「諏訪神社氏子中」が設置した案内板「飯田市文化財 諏訪神社本殿」を読むと、

 この本殿は一間社流造銅板葺の総欅造りで、文化十二年(1815)諏訪の宮大工立川和四郎富昌の門弟北沢与四郎安暉・原甚四郎照香両大工による作で貴重なものである。
 脇障子の牡丹・唐獅子、扉脇の松竹鶴、向拝の龍、木鼻の象、海老虹梁などの彫刻が凝っている。
平成四年十月三日

とあり、幕末の造営とわかりました。傷みが少ないので、最近修復されたのかもしれません。

 史料から、関係ある部分のみを抜粋しました。

諏方社(在毛賀)
祭神 建御名方命
一、創立と修復 
一、大寶元年丑年勧請せしとも云い又再建せしとも傳う
一、文化十二亥年十二月再建
一、明治二年十一月神楽殿再建。
一、大正四年本殿修繕 渡殿新営

一、御射山社(在毛賀) 勧請年月不詳 天正年間及寛文十二年(1672)御改あり

毛賀史編纂委員会『毛賀史』〔神社〕

 本殿の修理が大正四年にあり、それが大規模に行われたために新しく見えたと考えました。

 『松尾村誌』では「明治二年に建てた神楽殿が拝殿の奥に続いている」とあります。また、大正四年の「渡殿新設」から、「拝殿−神楽殿−渡殿−本殿」と続く造りと理解しました。

 やはり、諏訪神社と御射山社の位置関係は気になる要素です。毛賀の場合はどうかと、Googleマイマップを用意しました。