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松宮諏訪神社 山梨県北杜市長坂町 塚川

石祠
石棒が御神体?(諏訪市湖南 真志野)

 この異様とも言える祠は、長野県諏訪市にあります。諏訪では、開墾・耕作などで掘り出した縄文時代の遺物である石棒を身舎内に納め、御神体とする(してしまう)風潮があります。
 その一例がこの石祠に当てはまるのかは祭祀者に確認しないとわかりませんが、この大きさでははみ出てしまうので、身舎の前面を削って(までして)安置したことが想像できます。

松宮 諏訪神社参拝 '22.9.10

 『甲斐国志』では

一、諏方明神 塚川村 黒印神領二斗八升五合、社地千二百坪 ○ 苗敷明神 同村 社地三百二拾坪除地なり、神主輿石因幡、口八 男六・女二

甲斐志料刊行会 編『甲斐志料集成 5』

と書いています。以降に「塚川・輿石(こしいし)」が多く登場するので頭に入れておいてください。

 往太神社の「謎の石棒」を調べる中で、Blog『払鉋!木製まな板復権と里山憂愁と棒道探求』内にある、エンタシス状の向拝柱を持つ石祠の写真を見ました。その柱はどう見ても石棒ですが、原初から向拝柱として作られたようにも思えます。

 その「石棒」見たさに、山梨県北杜市の長坂町に向かいました。

松宮諏訪神社

 諏訪神社は幹線道路から外れた狭い道路の先にあり、その前に立つと、社号標に「松宮 諏訪神社」が読めました。Googleマップに載る「松宮」諏訪神社は、この社号に由来していることがわかりました。

松宮諏訪神社「境内社」 拝礼を済ませ、右方の神楽殿を外側から回り込むと、屋根に鬼面を施した目的の石祠がありました。「宝暦」は読めますが、それ以下は泥が付着し判読できません。
 問題の向拝柱は、エンタシスの形状をした石棒を半分に分割して左右に並べたように見えます。ここでは縄文時代の石棒を前提にしているので、右側の上端には、石棒の先端を削ったような帯状の部分が認められるという説明になりました。

松宮諏訪神社「境内社」 日本で唯一と言えるこの姿ですが、違和感はあります。切り詰めた先端が屋根とどう接合しているのかと覗きますが、屈み込む体勢では無理です。接写で撮って自宅で検証することにしました。
 ここで早々に結論ですが、屋根に方形のほぞ穴が確認できたので(上写真)、折損した柱の代わりに石棒を組み入れたことが判明しました。ただし、縄文時代の石棒かどうかはわかりません。

(改めて)諏訪神社の拝殿と本殿

松宮諏訪神社

 左が拝殿で、一部だけ写っているのが渡り廊下で繋がった神楽殿です。これ以上下がれないので、この画角となりました。

松宮諏訪神社本殿 本殿は、ご覧のように覆屋の前面と渡殿で塞がれているので、その全容は定かには見えませんでした。


苗敷神社 拝殿の右方にある新しい社殿です。案内板に「苗敷大神社」とあり、「筒粥の神事が行われたが、昭和47年に、塚川上久道より諏訪神社の境内に遷座した」とその変遷を書いています。前面の石祠もその時に移したのでしょう。『甲斐国志』の「○ 苗敷明神 同村」が相当します。

奥津城
(このサイズでは見分けがつきませんが)背景奥が本殿

 社殿から離れた境内の端に、石碑と石祠が並んでいます。この配置を見て、諏訪神社に仕えた歴代神主(※『甲斐国志』の表記)の奥津城(おくつき※墓地)と気が付きました。
 念のために石祠の銘に注視すると、「因幡正や但馬守」など官職名が付いた◯◯霊神と「塚川・輿石」が読めました。神社の境内に社家の奥津城があるのは何例か知っていますが、山梨県では初見となりました。

 社号標の裏に「塚川部落は下の棒道に接し重要視された…境内には信玄・勝頼公の制札が立てられ」とあります。石祠目当てに来たのですが、「棒道」や後述となる「塚川家」から色濃い諏方神社の参拝となりました。

社家「塚川家・輿石家」

 「石碑の銘は篆書体(てんしょたい)とあって、◯◯○霊神としか読めません」で終わらせるはずでしたが、撮っておいた裏の碑文に目を通したばかりに、これを書く羽目になりました。よろしければ引き続きお読みください。

奥津城  まず、一行目に(松と熱は異体字となる)「故松宮熱田両社神主」があります。次に「塚川若狭正厡阿曾美(朝臣)豊一大人霊神」と「故輿石喜興大刀自霊神」が並び、それぞれの略歴から(別姓であるのが理解できませんが)二人は夫婦で、共に「この奥津城に葬る」と読めました。
 文末には、昭和33年に「豊一霊神百年祭」として曾孫の諏訪神社宮司塚川宜誉氏が建てたとあります。
 実は、『山梨県神社庁』では松宮諏訪神社の宮司名を「塚川宣行」と書いていたのが記憶にありました。明治維新で神主の世襲を禁止したことがありましたから、ここでは塚川家が連綿と継いでいることが想像できます。また、旧村名を姓としているので、この地域では名家であることは間違いありません。