目に付く案内板の類が全くないのは、その余りの「聖石」故なのでしょうか。それとも、「馬の足跡」では有り難みがないからなのでしょうか。何れにしても、「諏訪七石」の一つとしてその前に立つと期待外れに終わります。諏訪大社もそのことを承知していて、あえて「七石」を打ち出していないのでしょう。
その「御沓石(おくついし)」は一之御柱の背後にあります。石垣のコーナーを背に半ば埋もれた状態の大石は、注連縄が張られていてもこれが「諏訪七石」の一つとは誰も気が付きません。多くの人は本宮最大の御柱を仰いだり写真を撮るのみですから、背後に目が移っても、…ただの庭石でしょうか。
左側に写っている灯籠の中台に取り付けられたプレートに、御沓石の説明が二行だけ書いてあります。それは、御沓石の背後に見える「天之逆鉾(あめのさかぼこ)」の謂(い)われを書いたものなので、諏訪七石を“ないがしろにしている”と非難することはできません。
三輪磐根著『諏訪大社』では、
とあり、文政2年に書かれた『信濃國昔姿』では以下のように説明しています。
神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』に「沓石」が描いてあります。玉垣が無いので、「沓の形に似ている石」という評価のようです。
ここに「御座石」が見えますが、現在は行方知れずになっています。