諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社雑学メニュー /

神楽殿は勅使殿の付帯施設 '21.10.5

本宮境内図 左図は、上社本宮の案内絵地図に、関係する名称を貼り付けたものです。これに、原初の参拝方向とされる「神楽殿−宝殿(四脚門)−硯石(−守屋山)」を破線で重ねてみました。
 この参拝ラインは多くの人に支持されていますが、ここに、「チョッと待って下さい」と声を挙げてみました。


『上社古図』に見る「帝屋と舞堂」

『上社古図』では、神楽殿を「舞堂(神子屋)」・勅使殿を「帝屋」と書いています。

 神長官守矢史料館蔵『復元模写版 上社古図』から、本宮・前宮・磯並に描かれた「帝屋(・五間廊)」と舞堂を切り取ってみました。ただし、絵図とあって大きさ・方向・距離とも大ざっぱです。また、各所に書かれた「今ナシ」は、「かつては存在していた」と置き換えてください。

帝屋と神楽殿
本宮space前宮space磯並

 現在は勅使殿と呼ぶ帝屋ですが、何れも帝屋の右横・右前方または前に「舞堂」があることに注目してください。

神子屋
宮地直一著『諏訪史第二巻後編』〔図録〕

 モノクロですが、同じ『上社古図』の前宮に描かれた十間廊です。
 かつては大祝の居館がその後方にあったので、あえて帝屋を設置する必要がなかったのでしょう。つまり、帝屋の前に設置される五間廊に帝屋を併設したものが十間廊ということになります。
 十間廊では右端に大祝が座る上壇が設えてあるので、神原でも、その右側に「神子屋(舞堂の別称)」があるのが納得できます。ただし、文献ではその関係は確認できません。

勅使殿に付帯した施設が神楽殿

 あくまで絵図からの考察となりますが、ここまでに挙げた例から、本宮の境内にある神楽殿は勅使殿とセットになるものと結論づけができます。そのため、冒頭に挙げた参拝線を持ち出す場合は「神楽殿−宝殿(四脚門)−硯石」として神楽殿を並記しないことが重要となります。

神楽屋と舞堂 現在見る景観に近い幣拝殿を入れた『上社古図』では、幣拝殿に対面する場所に「神楽屋」があります。
 同じ目的を持つ「神楽屋」と「舞堂」があることの不思議さも、繰り返しになりますが「勅使殿と神楽殿は一体のもの」として理解できます。
 因みに、現在は開かずの勅使殿で、神楽殿も諏訪大社の神事には使われていません。

一時期、舞堂は退転した

神子屋 ここまで書いて気が付いたのが、本宮の舞堂に書かれた今ナシです。当初は細工屋の附箋としていましたが、やはり「舞堂は今ナシとすべき」となりました。
 これで「舞堂が上壇に移って神楽屋となった」ことが浮上してきますから、今まで書き連ねたものが「二歩後退」とも成りかねない事態に陥ります。しかし、帝屋での神事が衰退したために舞堂が神子屋として細々と残ったとすれば、踏み止まることができます。
 それはともかく、『上社古図』が書かれた時代では、舞堂は存在しなかったのは間違いないでしょう。これで、現在の神楽殿が復活したのは、湯神楽が盛んになった頃ということになります。